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未発表記事 妻木氏について

1.妻木氏について


妻木氏についてWikipediaで調べてみた。

妻木氏(つまきし)は、日本の氏族。
歴史
『寛永系図』によると、土岐光定の9世の孫である彦九郎弘定がその根拠地であった妻木郷(現在の岐阜県土岐市妻木町)から妻木氏を称したことに始まるという。同じ土岐氏の庶流である明智氏とは深い関係があったとされ、明智氏の庶流であるともされる。明智光秀の正室煕子は妻木氏の出身である。宗家は江戸時代に入ると交代寄合格の旗本として妻木7,500石を領した。万治元年(1658年)、当主であった頼次が死去して嫡流は断絶したが、その弟の幸広が500石の旗本として引き続き妻木を領し、子孫は幕末まで続いた。

 300文字もない。短い。短すぎる。原稿用紙1枚(400文字)は書いてあげたいものだ。
 そもそも「妻木」は「つまき」ではなく、「つまぎ」では?

2.崇禅寺へ


 妻木氏の菩提寺・光雲山崇禅寺(岐阜県土岐市妻木町上郷)へ。
 まずは位牌堂へ。(天井画は、「今でしょ」の林修先生の叔父・林雲鳳画伯の作。)妻木氏の位牌には案内があり、どれが誰の位牌なのかすぐに分かるようになっていた。没年順に、

・土岐頼貞(定林寺殿)(1271-1339):土岐光定の七男。
・土岐頼重(崇禅寺殿)(1342-1355):崇禅寺開基。
・土岐頼高(-1390):土岐頼重の弟
・土岐頼篤(-1424):土岐頼重の子
・妻木広忠(1514-1582):明智光秀の叔父。明治時代の位牌。
・妻木貞徳(1526-1620):12代妻木広忠の子。近世妻木家初代
・妻木貞徳室
・妻木家頼(1565-1623):近世妻木家2代
・妻木頼利(1585-1653):近世妻木家3代
・妻木頼利室
・妻木頼次(1620-1658):近世妻木家4代
・・・となる。

 位牌堂の横に妻木氏墓所がある。一番右の大きな石碑が土岐頼重の墓で、左の墓石&五輪塔群が妻木氏歴代の墓である。
 土岐頼重は明智氏の祖であり、妻木氏の祖である。明智郷に住んでいる時は明智頼重と名乗り、妻木郷に住んでいる時は妻木頼重と名乗ったという。その土岐頼重が崇禅寺を創建するも、戦国時代に至るまで、位牌は無い。
 位牌や墓を見ていると、妻木氏の系図は、

 土岐頼貞─頼重─頼高─頼篤─【中絶】─貞徳─家頼─頼利─頼次【絶家】

だと考えてしまうが、明智光秀の妻が妻木範熈の娘・妻木熈子であることを考えると、妻木氏が存続していたことは確実であり、「中絶」ではなく、別の場所に住んでいたのかもしれない。

【年表】

暦応  2年(1339年) 美濃守護・土岐頼貞没。
康永元年(1342年) 土岐頼重(土岐頼貞の九男、妻木氏の祖)誕生。
文和  3年(1354年) 崇禅寺創建。開基:土岐頼重、開山:果山正位。
貞治  5年(1366年) 足利義詮、土岐頼高に妻木郷等を安堵。
応永34年(1427年) 足利義持、土岐頼秋に妻木郷等を安堵。
(中絶?)
元和  4年(1618年) 崇禅寺を清岩禅師が中興開山。
万治元年(1658年) 妻木頼次の急死により、近世妻木宗家断絶。

・崇禅寺
https://sozenji1354.wixsite.com/sozenji

3.『明智軍記』に登場する妻木一族


 『明智軍記』に登場する妻木一族の墓は、崇禅寺にはなく、 西教寺(滋賀県大津市坂本)の「妻木一族の供養塔」になる。「本能寺の変」後、坂本城が陥落すると、天正10年(1582年)6月18日、妻木家12代宗主・妻木広忠は、西教寺に一族の墓を作った後、墓の前で自害したという。

★『明智軍記』に登場する妻木一族

・明智妻室(日向守妻室):「賢女の名ある人」
・妻木範熈(勘解由左衛門)=妻木広忠?
・妻木範賢(主計助、主計頭):「長浜の城主」「光秀が妻の弟」
・妻木勘介
・妻木七右衛門
・妻木忠左衛門

★妻木氏系図(想像)

┌妻木藤右衛門広忠─妻木貞徳─妻木家頼─妻木頼利─妻木頼次
└妻木勘解由左衛門範熈┬妻木熈子
             ├妻木主計頭範賢
                ├妻木範武
                        └妻木範之

★明智光秀の母と妻の名

通説=母:武田牧 / 妻:妻木熈子
異説=母:山岸美佐保(実は叔母の明智市) / 妻:妻木牧

 母は若狭武田氏だという。ということは、明智光秀は、「光」を通字とする京都明智家(明智宗家)の人間なのであろう。また、妻の名を熈子とするのは、父が妻木範熈だからで、北条時政の娘の名を政子とするようなものだという。
 明智光秀は、父と妻・山岸美佐保(山岸信連の娘)の子ではなく、養子であり、実は山岸信周に嫁いだ父の妹・明智市(市姫、お市の方)の子(山岸信周の四男)だとする系図もある。

★山岸信周(のぶちか)の子

・長男:進士晴舎
・次男:岸信舎 
・三男:進士賢光
・四男:明智光秀
・・・

4.妻木氏系図


土岐①頼兼─②頼重─③頼篤─④国篤─⑤頼秋┬⑥頼秀┬⑦頼弘
                      └⑥頼照└⑦頼熈
(中絶)
妻木⑧弘定─⑨広俊─⑩広美─⑪頼安─⑫広忠
─⑬貞徳─⑭家頼─⑮頼利─⑯頼次

※参考:妻木氏系図
https://www.his-trip.info/keizu/entry290.html

★妻木氏の祖
説①土岐頼重の父・土岐九郎頼兼
説②土岐彦九郎(明智次郎)頼重
説③土岐頼秋の子・土岐頼照
説④土岐頼秋の孫・土岐頼弘の同母弟・土岐頼熈
説⑤土岐頼弘の子・明智妻木彦五郎頼範
説⑥妻木弘定

■動画:妻木郷(鎌倉時代の「妻木保」)

■動画:妻木城

・妻木城址の会
http://tumagijyou.com/

■動画:光秀の源流

※参考:『光秀の源流を探る』
・第4回 土岐明智氏から妻木氏へ
https://www.city.toki.lg.jp/fs/2/5/4/1/0/6/_/17.pdf
http://www.toki-bunka.or.jp/archives/books/books-974-c

★参考図書
・日東泉之進&芦田透『岐阜県土岐郡妻木村史』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965564
・日東泉之進&芦田透『妻木戦記』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918604


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