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梶原景時(1/5)「梶原景時の変」

■趣味の歴史散策


2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の視聴者には、
・レベル1:ドラマとして楽しみたい。
・レベル2:さらにドラマで扱った事件の実際を検索して知りたい。
・レベル3:さらにさらにドラマに出てきた場所に行ってみたい。
というレベルがあると思う。(別に「レベル1の人がダメ人間で、レベル3の人が優秀」という訳ではない。人それぞれ、いろんな楽しみ方があって良い。)

 Webライターとしての私のスタンスは、サポート依頼欄に表示されているように、「1冊でも多くの本を購入して勉強し、1ヶ所でも多くの現地取材を行って記事を書きたい」です。(とはいえ、サポーターが現れず、本の購入費も交通費も自腹。そしてコロナで、大河紀行に行けないでいる(泣)。)

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 梶原景時に関する記事を、この記事を含めて5本投稿したが、上に書いたような理由で、現地取材はしていない。上の写真は、以前、瀬名へ瀬名一族の取材に行き、夕暮れ時になったので取材を終了し、梶原山の隣の帆掛山の山頂「一本松公園」の東屋で休憩した時の写真です(お疲れモード)。この日、梶原景時関連史跡の前を何度も何度も通り過ぎました(笑)。

帆掛山:標高304.3m。山頂に松の巨木が1本あり、帆を広げた帆柱のように見え、山を船に見立てて「帆掛山」と名づけられた。なお、現在の松は、静岡市清水区高部まちづくりの会が植えた2代目の松である。静岡県静岡市清水区大内。合併前は、梶原山と共に、静岡市と清水市の市境であった。
https://www.manabiya.co.jp/mana_ftp/meisyo/ipponmatu/index.html

 梶原景時についての私の理解は、「梶原景時は清見関を突破し、狐崎まで逃げるも反転して交戦し、その後、敵(入江一族)が集まってきたので、『多勢に無勢。もはやこれまで』と観念して、梶原山で自害した」です。

【記事の構成】

・梶原景時(1/5)「梶原景時の変」
https://note.com/sz2020/n/nc49dc2b587d7
・梶原景時(2/5)「終焉の地」
https://note.com/sz2020/n/n977d1837530c
・梶原景時(3/5)「入江一族」
https://note.com/sz2020/n/nc87a237a9f64
・梶原景時(4/5)「嫡男の愛馬・磨墨」
https://note.com/sz2020/n/n62db75bf6aef
・梶原景時(5/5)「解説動画集」
https://note.com/sz2020/n/n41e260888d8e

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