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2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第43回)「資格と死角」

後継将軍問題(親王将軍擁立構想)

故・源義朝┬①故・源頼朝┬②故・源頼家┬公暁
     │       └③源実朝  禅暁
      └故・阿野全成─阿野時元

 同性愛者の源実朝には嫡男が誕生する可能性は無く、源実朝は養子をとって鎌倉殿を継いでもらい、自分は大御所になると宣言した。
 源実朝の後継者としての「資格」は、甥(猶子)の公暁、禅暁や、従兄弟の阿野時元にもありそうだが、公暁と禅暁は出家しているし、公暁は嫡養子ではなく猶子なので、相続権は無く、阿野時元は源頼朝の子孫ではないと無視である。
 そこに修行を終えた公暁が帰還。その胸には鎌倉殿となることへの強い意志を宿しており、乳母夫である三浦義村と共謀する。一方、北条氏と血が繋がらない者が鎌倉殿となれば北条氏の権力が弱まると感じた北条義時と阿野時元の母・北条実衣もまた源実朝の言動に不満を抱き、思案を巡らせていた。
 そんな中、源実朝の相談に対して後鳥羽上皇からよい返事が届く。後鳥羽上皇は乗る気で、親王(天皇の皇子)を送るという。

  源在子
    ├83土御門天皇
  82後鳥羽天皇─頼仁親王(母は坊門信清の娘。藤原兼子が養育)
    ├84順徳天皇
    ├雅成親王 
  藤原重子

親王といえば、雅成親王か頼仁親王であるが、頼仁親王であれば、母は坊門信清の娘(源実朝の正室の姉)であるので、大賛成である。頼仁親王を養育した卿二位・藤原兼子(後鳥羽天皇の乳母)にとっても頼仁親王が天皇になれないのであれば、鎌倉殿になってもらいたいと思っていた。
 北条政子は、御家人たちを動揺させないため、「熊野詣」「稲毛重成の孫娘」と言って北条時房と上洛し、藤原兼子に会った。

■『吾妻鏡』「建保6年(1218年)2月4日」条
建保六年二月小四日丙午。快霽。尼御臺所御上洛。相州(時房)扈從。是、爲熊野山御斗薮也。以此次、令伴故・稻毛三郎重成入道孫女(年十六。綾小路三品師季卿女)給。依可被嫁于土御門侍從通行朝臣也(同廿一日入洛給云々)。
(建保6年(1218年)2月4日。快晴。尼御台所・北条政子が、京都へ出発した。相模守(北条義時ではなく、北条時房)がお供した。これは、熊野詣でのためである。このついでに、故・稲毛重成の孫娘(年は16。綾小路師季の娘)を一緒に連れて行った。土御門通行に嫁がせるためである。(同月21日に入洛したという。))

■『愚管抄』
二月廿一日に、実朝母は、熊野へ参らんとて京に上りたりけるに、卿二位、たびたびゆきて、やうやうに云ひつつ、尼なる者を初めて三位せさせて、四月十五日に下りにき。二位にならして、「鎌倉の二位殿」とて有りけり。「始めたる例かな」と人、云ひけり。
(2月21日、源実朝の母・北条政子は、熊野詣でと称して入洛すると、卿二位・藤原兼子は、度々会いに行って、色々話し合い、尼である者には(叙位がなされた例はないが)初めて三位に叙せられ、(北条政子は)4月15日に下った(京都を離れた)。さらに北条政子は二位になり、「鎌倉の二位殿」と呼ばれた。「初めての例である」と人々は言った。)

「親王将軍擁立構想」というのは、源実朝と後鳥羽上皇が仲が良かったから可能なのであって、源実朝が暗殺されると頓挫した。
『吾妻鏡』「関東将軍次第」では、源実朝が暗殺されると、平政子(北条政子)が尼将軍になったとする。

『吾妻鏡』「関東将軍次第」

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北条時政の子(『鎌倉殿の13人』の設定)

北条四郎時政┬長男・三郎宗時    (片岡愛之助)  :母・伊東祐親の娘
(坂東彌十郎) ├長女・政子=源頼朝室 (小池栄子)   :母・伊東祐親の娘
      ├次男・江間小四郎義時 (小栗旬)       :母・伊東祐親の娘
      ├次女・実衣=阿野全成室(宮澤エマ)   :母・伊東祐親の娘
      ├三女・ちえ=畠山重忠室(福田愛依)   :母・?
      ├四女・あき=稲毛重成室(尾碕真花)   :母・?
      ├三男・五郎時連→時房 (瀬戸康史)      :母・?
      ├?女・きく=平賀朝雅室(八木莉可子)  :母・りく
      ├?女・?=滋野井実宣妻(?)  :母・りく=牧宗親の妹
      ├?女・?=宇都宮頼綱室(?)  :母・りく=牧宗親の妹
      ├四男・遠江左馬助政範 (中川翼):母・りく=牧宗親の妹
      ├?女・?=坊門忠清(坊門信清の子)室(?):母・不明
      ├?女・?=河野通信室(?):母・不明
      └?女・?=大岡時親(牧宗親の子)室(?):母・不明

北条義時の子(『鎌倉殿の13人』の設定)

北条義時──┬長男・金剛→頼時→泰時(坂口健太郎):母・伊東祐親の娘
(小栗旬)    ├次男・朝時(髙橋悠悟):母・比奈=比企朝宗の娘
       ├三男・重時(加藤斗真):母・比奈=比企朝宗の娘
       ├長女・竹殿=大江親広室(?):母・比奈=比企朝宗の娘
       ├四男・有時(?):母・?=伊佐朝政の娘
       ├五男・政村(?):母・のえ=二階堂行政の孫娘
       ├六男・実泰(?):母・のえ=二階堂行政の孫娘
       ├七男・時尚(?):母・のえ=二階堂行政の孫娘
       ├次女・?=一条実雅室(?):母・のえ=二階堂行政の孫娘
       ├?女・?=一条実有室(?):母・不明
       ├?女・?=中原季時室(?):母・不明
       ├?女・?=一条能基室(?):母・不明
       ├?女・?=戸次重秀室(?):母・不明
       └?女・?=佐々木信綱室(?):母・不明

源頼朝の子(『鎌倉殿の13人』の設定)

源頼朝──┬千鶴       (太田恵晴)   :母・八重=伊東祐親の娘
(大泉洋)   ├長女・一幡(大姫)(南沙良)    :母・政子=北条時政の娘
      ├長男・万寿→頼家 (金子大地)   :母・政子=北条時政の娘
      ├能寛→貞暁    (?)           :母・?=常陸念西の娘
      ├次女・三幡(乙姫)(太田結乃)   :母・政子=北条時政の娘
      └次男・千幡→実朝 (柿澤勇人)   :母・政子=北条時政の娘

源頼家の子(『鎌倉殿の13人』の設定)

源頼家───┬長男・一幡    (相澤壮太):母・せつ =比企能員の娘
(金子大地)  ├次男・善哉→公暁 (寛一郎) :母・つつじ=賀茂重長の娘
        ├三男・千寿丸→栄実(?)   :母・?=一品房昌寛の娘
        ├長女・竹御所   (?)   :母・?=源義仲の娘
        └四男・?→禅暁  (?)   :母・?=一品房昌寛の娘

▲NHK公式サイト『鎌倉殿の13人』
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/

▲参考記事

・サライ 「鎌倉殿の13人に関する記事」
https://serai.jp/thirteen
・呉座勇一「歴史家が見る『鎌倉殿の13人』」
https://gendai.ismedia.jp/list/books/gendai-shinsho/9784065261057
・富士市 「ある担当者のつぶやき」
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/fujijikan/kamakuradono-fuji.html
・渡邊大門「深読み「鎌倉殿の13人」」
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon
・大迫秀樹「「鎌倉幕府の謎」源頼朝と北条義時たち13人の時代」
https://gentosha-go.com/category/t966_1・Yusuke Santama Yamanaka 「『鎌倉殿の13人』の捌き方」
https://note.com/santama0202/m/md4e0f1a32d37
・刀猫    「史料で見る鎌倉殿の13人」
https://note.com/k_neko_al/m/m0f7e5011a2ac

▲参考文献

https://note.com/sz2020/n/n7aec3eacdf80

・毛利豊史「源実朝試論」
https://core.ac.uk/download/pdf/80536497.pdf

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