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宇佐信仰から八幡信仰へ-宇佐神宮略歴-

 宇佐神宮(旧・宇佐八幡宮)については、全く分らない。全く分らない私が記事を書くというのは、「挑戦(チャレンジ)」というより「暴挙」である。この記事よりも次の研究書を読んだ方がいいでしょう。

・中野幡能『八幡信仰史の研究』(吉川弘文館)
・中野幡能『八幡信仰』(雄山閣)
・中野幡能「宇佐宮」(吉川弘文館)
・中野幡能「宇佐神宮の研究」(国書刊行会)
・中野幡能編纂『宇佐神宮史 史料編』(宇佐神宮庁)1984

1.宇佐信仰


 宇佐神宮について私が知っていることは、ご祭神は、

一之御殿:八幡大神=応神天皇
二之御殿:比売大神 =宗像三女神(多岐津姫命、市杵島姫命、多紀理姫命)
三之御殿:神功皇后 (息長足姫命)=応神天皇の母

の3柱であり、参拝の作法が「二拝二拍手一拝」ではなく、出雲大社同様、「二拝四拍手一拝」だというくらいです。(まぁ、普通はこれで十分とも言えますが;)
 宇佐神宮へ行って驚くのは、中央に配置されているのが、八幡大神を祀る一之御殿ではなく、比売大神を祀る二之御殿だということです。つまり、宇佐神宮は、本来は、宇佐の地主神・比売大神を祀る神社であり、後に神功皇后&応神天皇親子が加えられたというのです。
 豊国宇佐に坐す宇佐神・比売大神の正体は、豊国の神・台与(卑弥呼の宗女(一族の女。卑弥呼は未婚なので娘はいない))とも、宇佐の神・菟沙津姫(宇佐津姫。境内社の宇佐祖神社に夫・菟沙津彦と共に祀られている)とも言われていますが、辛島氏が宇佐神=比売大神とし、宇佐氏が大和政権に従属して以降、次の2つの理由で、宇佐神=比売大神=宗像三女神(多岐津姫命、市杵島姫命、多紀理姫命)とし、現在もこの説が採用されています。

理由① 宇佐神宮奥宮・大元(おおもと)神社は、御許山(おもとさん)の山頂に鎮座する。御許山は、辛島氏によれば、比売大神が降臨した地だという。1個ではなく、3個の巨石からなる磐座は、比売大神こと宗像三女神(多岐津姫命、市杵島姫命、多紀理姫命)が降臨する依代である。

理由② 『日本書紀』に「宇佐島」とある。「宇佐島」は「沖ノ島」のことだとされるが、宇佐神宮では「辛島」(豊前国宇佐郡辛島郷。現在の大分県宇佐市辛島で、辛島氏の本貫地)とし、「今在海北道中」(その後、沖ノ島に遷座して、今は沖ノ島に坐す)と解する。

■『日本書紀』巻一第六段一書第三
 一書曰。日神與素戔鳴尊隔天安河而相對。乃立誓約曰。汝若不有。賊之心者。汝所生子必男矣。如生男者。予以爲子而令治天原也。於是日神。先食其十握劔化生兒。瀛津嶋姫命。亦名市杵嶋姫命。又食九握劔化生兒。湍津姫命。又食八握劔化生兒。田霧姫命。巳而素戔鳴尊含其左髻所纒五百箇御統之瓊。而著於左手掌中便化生男矣。則稱之曰。正哉吾勝。故因名之曰勝速日天忍穗耳尊。復含右髻之瓊着於右手掌中。化生天穗日命。復含嬰頚之瓊著於左臂中。化生天津彦根命。又自右臂中化生活津彦根命。又自左足中化生 之速日命。又自右足中化生熊野忍蹈命。亦名熊野忍隅命。其素戔鳴尊所生之兒。皆巳男矣。故日神方知素戔鳴尊元有赤心。便取其六男。以爲日神之子。使治天原。即以日神所生三女神者。使隆居于葦原中國之宇佐嶋矣。今在海北道中。號曰道主貴。此筑紫水沼君等祭神是也。
「即ち日神の生れませる三の女神を以ては、葦原中国の宇佐嶋に降り居さしむ。今、海の北の道の中に在す。号(なづ)けて「道主貴」(ちぬしのむち)と曰す。此れ筑紫の水沼君等が祭る神、是れなり。」
(素戔鳴尊との誓約で生まれた八王子(五男三女神)のうち、日神「天照祭神」がお生みになった三柱の女神は、葦原中國(天上(高天原)と地下(黄泉国)の中間の地上)の宇佐島(うさのしま)に降し、鎮められました。今は、北の海路の中に鎮まっておられ、「道主貴」とおっしゃいます。これは、筑紫の水沼君(みぬまのきみ)らが祀る神です。)

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