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第14回の再放送を観た。

▲源義高と源義経の別れが辛い。

 養和2年(1182年)での源頼朝の子といえば、
・源義経(1159年生まれの24歳):猶子
・源義高(1173年生まれとすると10歳):長女・大姫と結婚すれば娘婿
・源頼家(1182年生まれの1歳):実子
であり、源頼朝の跡は実子・源頼家が継ぐのであろうが、まだ若い。今、源頼朝が急死すれば、源義経が「源頼家が元服するまで」という条件で、源義経が源頼家の後見人になって継ぐのかな?

 ほぼほぼ義兄弟の源義経と源義高の別れは悲しかった。
 源義経は、こっそりと源義高が好きな蝉の抜け殻を集めていた。
「いつかやろうと、とっておいた」
自分が源義仲を討ち取って鎌倉に戻って来た時には、源義高は首を刎ねられているはずで、最後の別れのつもりだったのだろう。
 一方、源義高は、
「九郎殿が不憫です」
と言った。つまり、「戦で父に勝てる者はいない。その父と戦うことになった源義経が不憫でならない」とプレゼントされたに蝉の抜け殻を握りつぶした。「プレゼントを・・・」と源義高の人気が急降下した。こちらも、また、違う意味で、最後の別れのつもりだったのであろう。蝉は地下で3~17年(アブラゼミは6年)過ごし、地上に出て1か月程度で死ぬ。この「セミの一生」は、「源義経の一生」に重なる。(生まれてから黄瀬川で源頼朝に会うまでが地下アイドル時代で、メジャーデビューするも、その活動期間は短く、平泉で消えた。)『玉葉』には、源義経は500~600騎だったとある。その数であれば、源義高が「(天狗に学んだ戦略を持つ)源義経であっても勝てない」と思っても無理はない。
 なお、この出陣の時、源義経が乗った馬は「大夫黒」という藤原秀衡からプレゼントされた黒毛の馬であり、ドラマのような栗毛の馬ではない。

 さて、クイズです。
「4月30日は何の日でしょうか?」
「第16回の再放送日では?」
正解です。でも、私が用意した正解は、
「源義経の命日」
です。


▲北条泰時の母「阿波局」の扱い


 1979年NHK大河ドラマ『草燃える』では、「北条義時の妻(大庭景親の娘・茜)が、源頼朝に夜這い(レイプ)され、北条泰時を出産し、人妻なのにレイプされて出産した事を恥じて北条義時の元を去った。源頼朝は、北条泰時が自分の子だと感じとって、北条泰時を贔屓した」とした。

 2020年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、「源頼朝が伊東八重に会いに行ったが、拒絶された(指をかまれた)とし、北条泰時の父は北条義時である」とした。残る興味は、いつ、どのような形で伊東八重が退場するかである。今回、体調が悪そうであった。産後の肥立ちが悪くて亡くなるのだろうか?

※「江間義時(北条義時)の最初の妻」
https://note.com/sz2020/n/nd9cc61e4cc8d

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