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凡将・大野治長

 梵鐘の銘文事件で始まった「大坂の陣」。
 実質的な総大将は大野治長でした。
 結果、豊臣方の敗戦。
 豊臣氏は滅亡したので、大野治長は「凡将」と呼ばれています。
 『豊内記』「秀頼公衰微之記」には「大野修理亮(治長)と云ふ者は、秀頼母北方(淀君)の乳母の子也。其の心、飽くまで広くして、約なる体を知らず。私宅を飾り、奇物を弄び、色を好み、遊宴を専らとして、傍若無人の振る舞い也」(節約ということを知らない浪費家)とまで書かれています。(今川氏真の側近の三浦のような存在だね。)


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