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今日の昼食

今日の昼食は、昨日買った冷凍の焼き餃子。
お店の作りたて&焼きたての餃子には劣るだろうけど、十分おいしい。

現在の都市別餃子消費ランキングってどうなってるんだろう?
浜松市と宇都宮市が首位争いしているところに、宮崎市が割り込んできて首位の座を奪ったものの、浜松市が首位奪還ってことでOK?


 さて、今日は、「横浜市の浦島太郎伝説」に登場する淳和帝第四妃・真名井御前(出家後は如意尼)について調べる予定です。

淳和帝第四妃・真名井御前(出家後は如意尼)については、
・浦島太郎の一族(出身地が同じ)
・浦島太郎の9世孫
・浦島太郎の子
の3説あります。

 天長元年(824年)の有名な興福寺(西寺とも)の守敏と東寺の空海の雨乞い対決──空海の名声を妬む守敏により、国中の龍神が瓶に閉じ込められ、空海は雨を降らすことが出来ない状況でしたが、天竺にいた善女龍王を呼び寄せて雨を降らせ、勝利しました。
 別伝では、浦島太郎9世孫の真名井御前が、先祖伝来の玉手箱を空海に渡し、空顔が呪文を唱えながらふたをあけると、紫色の雲が湧き出て雨が降り、空海が勝利したとなっています。これで玉手箱の効果は消えしまったのですが、翌天長2年(825年)に浦島太郎が現れ、新たな玉手箱を真名井御前に手渡したといいます。この浦島太郎は、真名井御前の父親だそうです。
 つまり、上の3説の全てが史実であり、浦島太郎は2人いたのだぁ!!と私は考えています。



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