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雨乞い

 寺社巡りをしていると、「雨乞い」について、案内板に「日照りが続いて・・・した」と興味深いことが書かれていることがある。
 あるお寺の案内板には、「寺の前の竜神池に梵鐘を沈め、雨が降ったので引き上げようとしたが、重くて引き上げられず、梵鐘は今も池の中にある」とあった。(竜神=水神を怒らすパターン)
 また、ある神社の案内板には、「神体山の山頂に磐座があり、てっぺんが窪んでいて、日照りでも絶えることなく水が溜まっている。この水にタニシを放つと雨が降る」とあった。(巨岩に祈雨するパターンの進化系?)


■雨乞いの5パターン


『ブリタニカ国際大百科事典』では、「雨乞い」のパターンを次の5つに分類している。
① お籠り
②雨乞踊
③もらい水
④神を怒らす
⑤千駄焚き

 日照りが続き,農作物の生育が危ぶまれるとき,神仏に降雨を共同祈願する行事。
 その方法も数十種類が現存するが,大別すると,次のようになる。
(1) お籠り 一定期間,村人が神社に参籠し,谷川の流れの上に棚を掛け神を祀って祈願する。
(2) 雨乞踊 鉦を打ち太鼓を鳴らし,踊りを奉納する。
(3) もらい水 雨乞いに効果があると信じられている神社から水種をもらい,村人が数人でリレー式に村へ運び帰って,それをまく。この時途中で休むとその地に雨が降るといわれ,不休で運び帰るものとされている。
(4) 神を怒らす 汚物を投じて水神を怒らせ大いに暴れてもらう方法。
(5) 千駄焚き 雨乞いの効果がないとき,最後の手段として村人全体が行う方法で,山頂で大火を焚き,神が火を消すために雨を降らせることを願う行事。雨乞踊を伴うことが多い。

『ブリタニカ国際大百科事典』

──1つ1つ詳しく見ていこう!

① お籠り


 村人が交替しながら、一定期間、神社に参籠する。
 効果が出ない時は「お百度参り」をする。
 普通の「お百度参り」以外にも、神社脇の宮川で水垢離をし、川底の石を拾って奉納するのを100回行う「お百度参り」も行われた。

 余談ですが、四国の剣山の謎地名「コリトリ」は、ヘブライ語の「ふるさとの入口」ではなく、「垢離取り」で、「神域(剣山)の入口で、立ち入る前の禊を行う場所」の意味でしょうね。

②雨乞踊


雷神

 産土社の境内や山頂で、太鼓や鉦を鳴らしながら踊る。太鼓の音は、雷神が打ち鳴らす太鼓の音=雷鳴に通じる。

③もらい水

 水神や雷神が祀られている山奥の神社の「種水(たねみず)」をもらい受け、村の産土社の境内にまいた。(他の村から種火をもらってきて奉納するという変形パターンもある。神は、社殿が焼失しないよう、雨を降らすのであろう。)

④神を怒らす

 水神や竜神がすむ池や川の淵で馬の首を斬って生き血で水を汚して神を怒らせ、大雨を起こさせる。ただ、馬は高価なので、手のひらサイズの木馬を使うこともあった。他には、「女人禁制の境内で女相撲をさせる」というものなど。
 水神を祀る丹生川上神社へは、祈雨には黒馬、止雨には白馬を献じていたが、やはり馬は高価なので、馬の絵を描いた板を奉納した。これが「絵馬」の始まりである。(神道では貴船神社も有名である。)
 白黒で思い出したが、白は晴天の白雲、黒は雨雲の色だろうか? 多賀大社では普段の祈祷には白いご幣を使うが、雨乞いには黒いご幣を用いる。

⑤千駄焚き(せんだたき)

 焼き畑農耕で山焼きをした時や、大規模な山火事が起きた時に雨が降ったという経験則に基づく雨乞いであろう、

 日本の雨乞いはさまざまの変異があるが、その方法にはほぼ5種類の類型がある。それは、
(1)山頂で火をたく型
(2)踊りで神意を慰め雨を乞う型
(3)神社、神(仏)像、滝つぼなど、神聖なものに対する禁忌を犯し、神(仏)を怒らせて降雨を強請する型
(4)神社に参籠(さんろう)し降雨を祈願する型
(5)神社や滝つぼなどの聖地から霊験ある神水をもらってきて耕地にまく型
である。
 (1)の型は、山頂で火を燃やしながら、鉦(かね)や太鼓(たいこ)をたたき大騒ぎをするのである。たとえば岐阜県高山市の近郊では、雨乞いは以前、綿山(わたやま)という山で行うのが慣例であった。山頂には雨乞い小屋も建っており、その一隅に石が神体として祀(まつ)ってある。その前で盛大に火をたき、笛を吹き、太鼓をたたきながら、雨の降るまで泊り込むのを常とした。この型の雨乞いは、岩手、長野、岐阜、愛知、奈良、大阪、和歌山、京都、鳥取、高知、長崎の諸府県にみられ、五つの類型中ではもっとも広い分布を示している。山頂へ登ったり、薪(まき)を運び上げたりするのは相当の労働で、そのため場所を池の端、祠(ほこら)の前、あるいは神社の境内などに移したと思われる例も散見する。この方法に類する雨乞いは韓国(大韓民国)の全羅北道や慶尚南道を中心とした諸地域でもみられる。
 (2)の型は、唄(うた)や踊りで神意を慰め神に降雨を懇請する型である。(1)の型ほど広い分布はもたず、福井、岐阜、三重、滋賀、奈良、和歌山などの近畿を中心とする地域に固まり、さらにまた島根、愛媛県に散発的に分布している。この雨乞いの一つの例をあげると、和歌山県の有田(ありだ)郡八幡(やはた)村(現有田川町)という所では、神社の境内で「これほどの ひでりゆくのに 雨乞い踊りを始めて氏神前の白洲(しらす)にて 皆立ち寄りて踊れども 神の威徳はまだ見えぬ」とはやしながら踊ったという。こうした踊りは隊伍(たいご)を整えて村中を練り歩くことが多かった。
 (3)の型は、普段は神聖視されているものを冒涜(ぼうとく)して神を怒らせ、強制的に雨を降らせようとするものである。たとえば兵庫県姫路市の夢前(ゆめさき)川の水源地方の例をみると、ここを亀ヶ淵(かめがふち)といい、昔からこの淵を汚すときはかならず降雨があると信じられていた。そこで、天候の異常に農民同様に敏感であった相場師や投資業者が、牛馬の内臓をここに投げ込んで天候の荒れるのを待ったことがあった。村民はこの淵が故意に汚されるのを防ぐために、干天の日などは村で見張りをたてたほどであったという。禁忌を破るやり方はさまざまで、地蔵を縄で縛り上げて川につけ、打ったり、たたいたりする例もあるし、神社にいたずらしたりする。(3)の型の雨乞いは、青森、秋田、福島、長野、岐阜、和歌山、兵庫の各県でみられる。冒涜とか暴力に訴えて超自然物に降雨を強制する雨乞いは世界の各地で行われている。たとえば、タイでは干天時に仏に不自由を思い知らすために、仏像を野天に置いて、燃える太陽にさらす。フランスでは聖者の像を水に浸し、また東南アジア大陸部のシャン人でも干魃(かんばつ)で稲が枯れかかると仏像を水づけにしたという。
 (4)の型は、山へも登らず火もたかずに、神社に参籠して夜を徹して神に祈願する型である。「参籠」というのは、雨乞いだけに限らず祈願一般に広く行われるが、雨乞いの場合には、祈請の仕方にきわめて積極的な面がある。たとえば、静岡県榛原(はいばら)町勝間田(かつまた)(現牧之原市)では「立ち待ち」ということが行われた。それは、氏子が氏神の西山神社に詰め、1人ずつ神前に立って昼夜一睡もせず、降雨を強請する一方、釣鐘を打ち鳴らしたのである。この型の雨乞いの準備または参籠そのものには、単に村人だけでなく山伏(やまぶし)とか法印(ほういん)のような専門職の者が関与した例が多い。
 (5)の型は、水をまいて歩く型である。この型には、とくに霊験あると評判のある場所の霊水をもらってきてまくのがある。たとえば群馬県や埼玉県では、水戸の雷神(らいじん)様まで御神水を受けに行き、帰る足を休めるとそこで雨が降ってしまうので休まず帰村した所があるという。この型の雨乞いは、水を振りまけばそれと似た現象(降雨)がおこると信じたわけで、明らかに類感呪術的である。これらは福島、群馬、埼玉、長野、岐阜、奈良県や東京都などで認められる。この型の雨乞いも世界各地で行われており、ロシア、北アメリカ、北オーストラリア、インドネシアのハルマヘラ島、ニュー・ブリテン島などにみられる。
 以上五つの類型の雨乞いのほか、非常に奇想天外な雨乞いが局地的にみられる。たとえば、女が相撲をとったり(秋田県)、からの葬式を出したり(秋田県)、柱の先端から張り渡した綱をカエルに扮(ふん)した男が伝わって降りたり(千葉県)、各戸1丁ずつ硯(すずり)を出して川で洗ったり(山口県)というぐあいで、さまざまである。この種の奇抜なもののほか、前記五つの類型が変形したり、結合したとみられるものもかなり多く、この五つの雨乞いが日本の雨乞いを代表するものとみられる。[杉山晃一]
『高谷重夫著『雨乞習俗の研究』(1982・法政大学出版局)』
▽『任章赫著『祈雨祭――雨乞い儀礼の韓日比較民俗学的研究』(2001・岩田書院)』
▽『籔元晶著『雨乞儀礼の成立と展開』(2002・岩田書院)』

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

 以上、「雨乞い」についてみてきたが、どれも民間信仰のレベルのように思われる。
 干ばつは死活問題であり、「雨乞い」は、民間信仰に留まらず、神道、仏教、陰陽道、修験道でも行われた。それが載っていないのは、たとえば、安倍晴明が行った陰陽道の「雨乞い」は「五竜祭」であり、別の名前で呼ばれ、別の項目に掲載されているのであろう。
 以下、具体的に、
・ユネスコ無形文化遺産「滝宮の念仏踊」(菅原道真)
・「雨乞い小町」(神泉苑の小野小町)
・「五龍祭」(安倍晴明)
・神泉苑(「弘法大師」空海、「雨僧正」仁海、白拍子・静御前)
について見ていこう。

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