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『桶狭間~織田信長 覇王の誕生~【命がけでこの世を変えた信長の愛と宿命の物語】』

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時代劇にはお金がかかるので、NHK以外は制作できないと思っていたが、
フジテレビ、やりますねぇ。まずは、拍手 (*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ

十三代目市川團十郎白猿襲名記念特別企画
桶狭間~織田信長 覇王の誕生~
【命がけでこの世を変えた信長の愛と宿命の物語】


日本史上最大の逆転劇「桶狭間の戦い」を描いた
               本格歴史エンターテインメント大作!

・市川海老蔵、市川ぼたん、堀越勸玄、ドラマで親子初共演!
・広瀬すず初時代劇!
・佐藤浩市など豪華キャスト!

諦めなければ必ず勝機はやってくる。
新しき世は己で創り出す。
そんな信長の戦いぶりが日本を元気にしてくれる、この春最高の話題作!

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【あらすじ】
 織田軍2000に対し、今川軍25000。圧倒的な戦力差にも関わらず見事な戦術で勝利し、日本史上最大の逆転劇と謳われる“桶狭間の戦い”。この勝利を機に、信長は一躍戦国時代の主役に躍り出て、日本の歴史に多大な影響を与えたのだった。日本の歴史を変えた1日に焦点を当て、若き日の信長の知られざる真実を描く。二千VS二万五千・絶体絶命でも諦めない愛と勇気と宿命の物語。

 1560年、清洲城。27歳の織田信長(市川海老蔵)が「敦盛」を舞っている。同じ時、今川軍の先鋒・松平元康(後の徳川家康)は織田軍の砦(とりで)の前で、その采配を振るう時を待っていた。駿河の総大将・今川義元(三上博史)が織田家の領地・尾張を我が物にするべく、二万五千の大軍をもって進攻してきたのだ。
 前夜、今川軍に対し籠城策を訴える家老衆をあしらった信長は、翌早朝にたった五人の小姓を従えて清洲城から姿を消した。恐れをなして逃げたのだという生母・土田御前(黒木瞳)に対して、濃姫(広瀬すず)は決して逃げたりはしないと言い切り信長の身を案じる。
 信長は木下藤吉郎(中尾明慶)など信用できる者たちを動かし今川軍の情報を集め、義元が大高城に向かうのではなく、織田信長軍と戦う構えで桶狭間にいることを突き止めた。やがて、織田軍本陣に家老衆が軍勢とともに到着したが、その数は二千ほどで、今川軍との差は圧倒的だった。二万五千VS二千。果たして信長はどんな戦略でこの大軍に立ち向かうのか…。奇跡の戦いが今始まろうとしていた。
【脚 本】大森寿美男
【主題歌】宮本浩次『shining』(ユニバーサルシグマ)
【放 送】2021年3月26日(金) 21:00~23:32


 春休みに入って暇ではあるが、コロナ禍でお城巡りや神社巡りができず、バイトも怖い。結局、家でTVを見ようと思うが、面白い番組がないので、雑記帳(取材ノート)を整理し、バイトがわりにブログを書いては売る毎日。
 ところが、昨日は違った。昼間は高校野球、夕方は大相撲、夜は「
DRAMATIC BASEBALL 2021「巨人×DeNA 開幕戦」」と「サッカー国際親善試合 U-24日本代表×U-24アルゼンチン代表」が重なり、さらには『桶狭間~織田信長 覇王の誕生~【命がけでこの世を変えた信長の愛と宿命の物語】』と「金曜ロードSHOW!「バイオハザード」★大ヒットシリーズ第1作★」が重なるというTV三昧の日でした。
 1番面白かったのはプロ野球。大瀬良投手と菅野投手の完封勝ちを予想していた人は多いと思うけど、中日の4-0からの大逆転(8回に5得点)や、巨人のサヨナラ勝ち(9回裏に代打・亀井選手のソロホームラン!勝利投手はクローザーの中川投手)を予想していた人はいなかったのでは?

『桶狭間~織田信長 覇王の誕生~』のテーマは、織田信長が斎藤道三や今川義元に言った言葉かな。最後の「本能寺の変」は余分だったな。「こうして覇王が生まれた」で終わればよかった。
 大河ドラマ『麒麟がくる』では、「桶狭間の戦い」の後、明智光秀が「次は何を?」と聞くと、織田信長は「美濃をとる。帰蝶を喜ばせたい」と答えていたが、『桶狭間~織田信長 覇王の誕生~』では、斎藤道三が斎藤義龍に殺された時、織田信長が帰蝶に「美濃をとる」と言うと、帰蝶は、「いえ、私の国はここ(尾張国)です」と答えていた。
 ワタシ的に残念だったのは柴田勝家の「暗い」演技。ワタシの中の柴田勝家は、もっと豪快で、感情が顔に出る人物なので、ワタシとしては「違うかな」って感じでした。織田信長も落ち着きすぎ。もっと若くて、甲高い声だったはず。
 史実(と思われること)と比較して面白かったのは、今川義元と織田信長の一騎打ち。(しかも織田信長は2連発の馬上筒を持ってた。)今川義元を討ち取ったという毛利&服部の褒賞が少なかったのは、「実は織田信長が討ったから」という新解釈かな。木下藤吉郎にしても、もっとずる賢く撮って欲しかった。カメラワークも、顔のアップが少なく、表情が誇張されなかった。
 俗説との比較だと、酒と肴を運び飲んだのは木下藤吉郎だけど、今川義元の顔を確認したのは、桑原陣内。(『桶狭間~織田信長 覇王の誕生~』では、木下藤吉郎が「今川義元の顔を知っている」と言ったので、織田信長は召し抱えたとする。)
 脚本の矛盾は、鎌倉街道には5000人の今川軍がいたのに、なぜか毛利&服部が今川本陣へ行けたってこと。

◉「桶狭間の戦い」関連記事
沓掛城
https://note.com/sz2020/n/n8032ed352885
帰蝶は美人だったか?
https://note.com/sz2020/n/nfa1b8b10325d

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