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ヤマトタケル(倭建)の火石と水石


 通説では、東征に向かうヤマトタケル(倭建)に、叔母であり伊勢神宮の初代斎宮でもあるヤマトヒメ(倭姫)が、天叢雲剣と火打石が入った袋を与えたとするが、『平家物語』では、ヤマトタケルは「水石」「火石」(山梨県から静岡県にかけての「丸石信仰」)を持っていて、水石で野火を消し、火石で駿河国造一味を焼き殺したとある。
 そして、この2つの霊石を宮簀媛が待つ松姤島(愛知県)へ投げ、
・火石は、紀大夫の田の北端に落ちた。
・水石は、紀大夫の田の南端に落ちた。
そして、「紀大夫の田は一夜にして森になった」という。
※紀大夫=真敷刀俾(マシキトベ)=宮簀媛の母
※紀大夫等を祀る「元熱田」星宮社の御神体である2つの隕石が火石と水石かと思うが、隕石が落ちればクレーターに水が溜まって池となる。森にはならない。愛知県豊田市に、木の芽が龍の熱を浴びて一瞬にして巨木になったという伝承があるが、田には木の芽はないので、森にはならないかと。
 静岡県湖西市の熱田神宮の「白鳥の森」(白鳥と化した日本武尊が飛来して休む森)は、田に挟まれた森で、違和感がある。そういう感じの森(森があるべき場所にない森、「えっ、こんな場所に森?」と驚く森)になったのかなと思う。
※西日本では、田の畔の祠には大歳様を祀るが、東日本では、水神などを祀る。

通説では、
① 火石は焼津神社、水石は橘神社に落ちた。
② 2つとも焼津神社に落ちたが、水石は橘神社に遷された。
③ 火石は焼津神社、水石は有玉神社に落ちた。
であるが、
①②宮簀媛が待つ松姤島(愛知県)へ投げた石が弟橘姫に届くというのは皮肉であるが、この倭建の妻・弟橘姫を祀る橘神社(静岡県藤枝市下当間)は洪水で流され、水石が発見された場所は「玉取」と名付けられ、玉取神社(現・神明神社)が建てられて保管されいたが、現在は焼津神社に戻されている。

③有玉神社の水石は、東征に向かう坂上田村麻呂の現地妻・赤蛇が持っていた潮引珠(汐干玉)であって、倭建の水石ではない。


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