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今日の昼食と昨日の記事の自己解説

突然ですが、

───今日、9月15日は何の日でしょう?

松平信康(徳川家康の長男)の命日

信康公廟所は普段は入れないけど、命日の今日は入れると聞いている。

そして、関ケ原の戦いの日でもある。
天気はいいし、日曜だし、賑わってるだろうな。
私は例によって自宅警備です(泣)。

そして、私の「退院1周年記念日」です。
1年前の今頃は、
「1週間後には餓死(孤独死)してるだろうな」
「入院費をどうやって支払おう? 自殺するしかない」
と思っていましたが、お金を貸してもらえたり、読者様のサポートがあったりで、想定外にも1年も生き延びてしまいました。

ありがとう!!!!

今日の昼食はチキンカレーです。

カレーは当たり、はずれが無い。


昨日の記事について


昨日は、
・無料記事:卑弥呼の「鬼道」考
・メンバー限定記事:八幡大神出現の地 ー薦(こも)神社ー
をアップしました。

卑弥呼の「鬼道」考

 『魏志』では、「道教」を「鬼道」と言っている箇所があり、「卑弥呼の鬼道は道教だ」と言っておられる方がおられますが、私の考えは、「著者にとって儒教以外はみんな鬼道。道教も、仏教も、キリスト教も鬼道」であり、卑弥呼=日巫女であって、鬼道=太陽崇拝だと思っています。そして太陽神のお告げを弟に伝える。

八幡大神出現の地 ー薦神社ー

 八幡大神は、薦神社の池に出現したそうです。そして、大神氏が宇佐へ遷したそうです。大神氏は奈良の大神(おおみわ)神社の宮司家であり、武闘集団だったようで、全国の要所(国境)に配置されていました。神功皇后が兵が集まらないので神(みわ)神社を建てたら集まったそうですが、その時に九州に派遣され、土着したのでしょう。

 八幡大神が出現した薦神社の池を「三角(みすみ)池」といいます。「三角形の池」と言っておられる方がいますが、「菱形池」に揃えただけで、本来の表記は「御澄池」でしょう。
 最初に見た時は「3本指の獣の足跡」に見えましたが、今は「玉沢」「矛沢」「鏡沢」は王冠の「3本の角(つの)」で、「戴冠した人物の顔」に見えます。(そう見えるは宇宙で私だけでしょう(笑)。ちなみに友達は御神木の「楠」に見えると言ってました。)

大分県指定史跡
   三角池(みすみいけ)と薦神社(こもじんじゃ)
                        昭和51年3月30日
 薦神社は、別名大貞八幡とも呼ばれ、宇佐八幡の本宮であるとも伝えられる。史跡範囲は、内宮である5ヘクタール余の池と外宮の社殿からなる。池は、三角池(御澄池)とも呼ばれ、池そのものが御神体である。三角池に自生する「真薦(まこも)」を刈り取って、池の中の敷島(しきしま)で乾かし、宇佐八幡宮の御神体である「御枕」にしたという。社殿は、承和元年(834~848)の草創と伝えられるが、三角池の築造はこれより古いといわれる。薦神社が祀る八幡神は、池の守り神でもあったといわれる。当時、大陸の技術を持つ渡来人によって、各地の水利不便な台地の多くの溜池が造営されたという。三角池も、こうした溜池の一つであると考えられている。
 三角池は、穏やかに起伏する洪積台地を利用して作られ、北東から南西へ手のひらを置いたような形をしており、手の先にあたる南西側には三つの澤がある。入江状の澤は浅く、ハスが密生し、マコモの群生地となっている。御神体でもある三角池では、池・植物・魚などが大切に扱われ、それゆえに貴重な水生群落、入江に群生するマコモ群落やハンノキ林などが残っている。薦神社の周囲は、かつて鬱蒼とした森であった。現在でも、社殿のある一帯は、コジイ=クロキ群集の常緑広葉樹林に覆われ、イチイガシ林、クスノキの巨樹とあわせて境内林をつくっている。
 なお、三角池の植物と植物群落は、大分県指定天然記念物「三角池の水生・湿地群落」に指定(昭和55年4月8日)されている。
                  平成7年7月1日
                      中津教育委員会

>当時、大陸の技術を持つ渡来人によって、各地の水利不便な台地の多くの溜池が造営されたという。三角池も、こうした溜池の一つであると考えられている。

「八幡大神が出現した池」と聞くと、古代から存在した池だと思ってしまいますが、人造の溜池なんですね。なぜこのような形にしたのでしょう。円形でいいのに。

今日の驚き

「仮面ライダーガブ」に出演された阿部亮平さんが鈴木誠也選手そっくりで驚いた!!!


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