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源頼朝の勤行(ごんぎょう)

 源頼朝が平時の日課として行っている「日常勤行」(日々の「お勤め(おつとめ)」は何だろう?

 私の場合、仏壇の蝋燭に火をともし、線香を焚いて、『般若心経』(時間があれば『観音経』も)を読み、最後に「南無阿弥陀仏」と題目を唱えて終了するのですが、源頼朝は『法華経』の信者なので、『法華経』を読み、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えたのでしょうか?
 『法華経』といえば、源頼朝の墓は法華堂にあった。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/209910

━━『吾妻鏡』で調べてみた。

1.挙兵直前の源頼朝

■『吾妻鏡』「治承4年(1180年)7月5日」の条
治承四年七月大五日乙卯。天霽、風靜。昨日遣御書、被召走湯山住侶文陽房覺淵。今日參向北條御亭。武衛被談仰于件龍象云。「吾、有挿心底而、法華經之讀誦、終一千部之功後、宜顯其中丹之由、雖有兼日素願、縡已火急之間、殆難延及後日。仍轉讀分八百部、故欲敬白佛陀、如何者」。覺淵申云。「雖不滿一千部、被敬白條、不可背冥慮者」。則、供香花於佛前、敬白其旨趣。先唱表白云、「君者、忝、八幡大菩薩氏人、法華八軸持者也。禀八幡太郎遺跡、如舊相從東八ケ國勇士、令對治八逆凶徒八條入道相國一族給之條、在掌裏。是併可依此經八百部讀誦之加被」云々。武衛、殊感嘆欽仰給。事訖賜施物。判官邦通取之。
 及晩、導師退出。至門外之程、更召返之「世上無爲之時、於蛭嶋者、可爲今日布施」之由仰、覺淵頻有喜悦之氣、退去云々。

(治承4年(1180年)7月5日。空晴れ、風静か。(源頼朝は)昨日手紙を出して、走湯山(伊豆山神社)の住職・文陽房覚淵を召されたので、(文陽房覚淵は)今日、(源頼朝がいる)北条館に参った。
 武衛(源頼朝)がその龍象(高僧)に話したのは、「私は、心に思うことがあって(挙兵しようと思っていて)、『法華経』を1000回真読(経典の全部読むこと)の後に、行動をしよう(挙兵しよう)と普段から思っていたが、火急の事態になってしまい、(真読1000回を)続ける(達成する)ことが出来なくなってしまった。それで、転読(経題と経典の一部だけを読んで全体を読むのに代えること)800回にしようと思うが、どうか」と。
 文陽房覚淵が答えるに「1000回に足りなくても、その気持ちは、仏の心に背くことにはならない」と。そして、香を仏前で焚き、花を供えて、その旨趣(ししゅ。心の中の思い)を敬白(謹んで申し上げること)した。初めに表白(法会の際、導師がその趣旨を書いた文を仏前で読みあげること)を唱えた上で、「源頼朝は、勿体無くも八幡大菩薩の氏子で、『法華経』(全8巻)を常に持っておられる方である。源八幡太郎義家の血を継ぎ、東国8ヶ国の勇士を従え、八逆の凶徒(大罪人)で八条に住む平清盛の一族を退治することは、貴方の手の内にある。これは全て、800回の転読によって得られる御利益である」と敬白したという。
 源頼朝は、大変感激した。法会を終えて、お布施を藤原邦通を通して与えた。
 晩になって、文陽房覚淵は、帰ろうとして門の外に出ると、源頼朝は、呼び止めて、「世の中が落ち着いたら、蛭島(蛭ヶ小島)を今日のお布施として寄進する」と言った。文陽房覚淵は大変喜んで帰ったという。

 源頼朝は挙兵前に必勝祈願として『法華経』の1000回の真読をしようとしたが、慌しくて800回の転読に切り替えたという。
 『鎌倉殿の13人』で、北条政子が「私、嫌いじゃない。お経を読むより、こっちの方が向いてる」と伊豆山神社の掃除をしていた。確かに読み書きが不得手で「以仁王の令旨」を読めなかった北条政子にとっては、源頼朝のかわりに『法華経』を1000回真読するよりは掃除の方が楽なのであろう。

2.挙兵直後の源頼朝


 ━━源頼朝は本当に『法華経』を1000回真読しようとしていたのか?

いや、それ(必勝祈願)以外に、日々勤行していたという。

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