![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/49573533/rectangle_large_type_2_c6f20f99ca8ac049f8b37cecb3425497.jpg?width=800)
あの岬を目指して行こう。
今回は「恋路ヶ浜」から「伊良湖岬」へのロケ。
■ロケ:「ロケ撮」とも。正確には「ロケーション撮影」。「撮影」は、ミュージックスタジオではなく、フォトスタジオでするものであり、フォトスタジオ以外の場所での撮影は「ロケーション撮影」である。
砂に書いたラブレター
展望台で休憩
鷹ひとつ み付けてうれし いらこ埼 (芭蕉直筆句碑)
裏の句意は、「ファン1人、出会えて嬉し、伊良湖岬」(こんな東海道から遠く離れた辺鄙な場所(三河国の渥美半島の先端の伊良湖近くの保美)にも私の門人(杜国こと坪井庄兵衛)がいるとは嬉しい限りだ。そしてその門人に会えた)といったところ。私も全国のファンに会いに行きたいぜ!(今の所、「ファンです」と名乗りをあげてくれた人は0人だけど、サークル始めたから、現れるかも?)
さて、「伊良湖」を「いらこ」と読む人もいるが、正式には「いらご」と濁る。「伊良湖」が「琵琶湖」「浜名湖」のように湖の名前であれば「いらこ」と読むのであろうが、「伊良湖」は湖の名前ではない。地名であり、表記には、『万葉集』の
・「伊良虞」(巻1-23)
・「射等篭」(巻1-23)
・「五十等兒」(巻1-42)
以外にも、「伊良久」(『三河国内神明名帳』)、「伊良胡」(『神鳳鈔』)、「伊良子」「伊良児」などあり、語源は不明である。
──「湖」は当て字であって、正しくは「胡」だという。
渥美半島には「アラコ」「吉胡(よしご)」がある。「こ/ご」は耕作地で、「アラコ」は「新胡」で「(開拓により生まれた)新しい耕作地」、もしくは「荒胡」で「(石が多い)荒れた耕作地」であり、「吉胡」は「良い耕作地」だという。
異説として「伊良処(こ)」だと言う。「都(みやこ)」が「宮処(みやこ)」で「宮(天皇の御所)がある場所」のように、「あらこ」は「荒処」で「荒れている場所」だという。
『万葉集』(巻1-24)の麻続王について詠んだ歌(上の写真は万葉歌碑)には「伊良虞能嶋(いらごのしま)」とあり、この「島」については、「神島説」と「答志島説」がある。(麻続王の配流先を「いらご」とするが、『常陸国風土記』には「常陸国行方郡板来村」(いたこ)、『日本書紀』のには「因幡」(いなば)とある。似ているので混同したとする説と、どれも正しく、流刑地が次々と変わったとする説がある。)
また、古語の「島」には、「岬」の意味がある。海から見ると島に見えるからだという。そして、その岬が断崖絶壁であれば、「いら(伊良)」「えら(永良)」と呼ぶという。つまり、「伊良虞の島=伊良湖岬」だという。
伊良湖岬から見た三島由紀夫『潮騒』の舞台の「神島」である。
書名の「潮騒」は、柿本人麻呂の万葉歌
潮騒に 伊良虞の島辺漕ぐ舟に 妹乗るらむか 荒き島廻を(巻1-42)
からとったという。この歌は、持統天皇伊勢国行幸時の歌で、「伊良虞の島」は神島ではなく、伊勢から近い登志島だという。
『潮騒』といえば、火を飛び越えるシーンが有名である。先日、『北の国から』の再放送を見てたら、同じようなシチュエーションになったが、純はストーブを飛び越えなかった。まさに純だ。「名は体を表す」とは、このことだ。純は純粋な草食系で、新治のような肉食系ではない。
さて、伊良湖岬に到着! あとは自由行動!
名物大アサリを食す。
--------------------------------------------------------------------------------------
「浜辺美波は本名です」
衝撃が走った。本名ですとー。素敵過ぎる。名前の由来は、
「父が朝倉南の大ファンだったから」
だそうだ。(ワタシ的には「美波」といえば、『ゆるキャン△』の鳥羽美波(本栖高校の歴史の先生)だな。)
以上、伊良湖岬からでした。
一生懸命やったわ。ほんとに…
【おまけ】第1期メンバー撮影会
「ロケ」と聞くと、心が踊り、
>85mm、絞り開放でバストショット
を撮りがち。
せっかくのロケだから、
>35mm、F11(パンフォーカス)でフルショット
で背景もきちんと撮りたいものだ。
さらに言えば、
>人物を添景にした風景写真(通称「雰囲気写真」)
でもいいかと。
「一期一会だ」
と、一生懸命撮るのも悪くはないが、肩の力を抜いて気軽に撮るのも楽しい。
>ノーファインダーでスナップ写真
とか、
>「彼女と、伊良湖に旅しました」って「ロードムービー的組写真」
とか。
■参考図書:荒木経惟『旅少女』(青春18きっぷのポスター)
■参考記事:Mr.Portrait 青山裕企『少女礼賛』「岬を目指して」
・少女礼讃 |#597|岬を目指して(一)2021/03/26|4661-4664
・少女礼讃 |#598|岬を目指して(二)2021/03/27|4665-4668
・少女礼讃 |#599|岬を目指して(三)2021/03/30|4669-4674
・少女礼讃 |#600|岬を目指して(四)2021/03/31|4675-4682
・少女礼讃 |#601|岬を目指して(五)2021/04/02|4683-4689
・少女礼讃 |#602|岬を目指して(六)2021/04/03|4690-4693
・少女礼讃 |#603|岬を目指して(七)2021/04/06|4694-4700
・少女礼讃 |#604|岬を目指して(八)2021/04/08|4701-4707
・少女礼讃 |#605|岬を目指して(九)2021/04/10|4708-4714
・少女礼讃 |#606|岬を目指して(十)2021/04/13 |4715-4721
記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。