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三河国宝飯郡の城①蒲郡市の城

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 愛知県蒲郡市には、東から、
丹野(たんの)城
中島(なかじま)城
五井(ごい)城※
不相(ふそう)城※
蒲形(がまがた)城※
上ノ郷(かみのごう)城※
柏原(かしわばら)城
竹谷(たけのや)城※
形原(かたはら)城※
の9城があったとされ、※印の6城については、浅野文庫「諸国古城図」にある。

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※浅野文庫「諸国古城図」
https://www.library.city.hiroshima.jp/hiroshima/webgallery/kojo.html

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(1)丹野(たんの)城


蒲郡市相楽町荒井。
蒲郡市相楽町と豊川市御津町の境にそびえる標高364mの御堂山(みどうやま)の山頂にあった山城。

文明元年(1469年)、三河守護・細川成之の被官・萩原芳信が備後国から来て、「三河七御堂」御堂山全福寺の僧徒を動員して築城したという。
文明2年(1470年)の「丹野城の戦い」で牧野氏の攻撃を受け、わずか1年で廃城となったという。

※「三河七御堂」
https://note.com/sz2020/n/n31415156413d

(2)中島(なかじま)城


蒲郡市大塚町上中島。
天文年間(1532-1554)、今川方の岩瀬忠家が築いたとされる城館で、天正18年(1590年)頃まであったという。
今は住宅地になって遺構はない。

(3)五井(ごい)城

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蒲郡市五井町中郷。
五井山南麓、海抜約45mの丘陵地にあった。
現在は住宅地や農地になっている。

文治年間(1185-1190)、源行家によって築かれた。その後、五井松平氏の初代・松平忠景(松平3代信光の7男)~5代・松平景忠が入った。
天正18年(1590年)6代・松平伊昌の時、徳川家康の関東移封に伴い、五井松平氏は下総国印旛郡へ移り、7代・松平忠実以降は交代寄合衆として、家は明治まで続いた。

松平宗家3代信光─①忠景【五井松平氏の始祖】─②元信─③信長─④忠治─⑤景忠─⑥伊昌─⑦ 忠実…

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八幡宮参道口の御宮池は、縄張り図にある城の北の「池」の名残だという。

(4)不相(ふそう)城

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愛知県蒲郡市竹島町。
本丸跡に「蒲郡クラシックホテル」。

天文19年(1550年)頃に築城され、上ノ郷城主・鵜殿長持の弟・長成が入ったという。
永禄5年(1562年)の上ノ郷城の落城時、鵜殿長成は、城を捨てて、吉田城へ逃げ、廃城となったという。

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 竹島に近い「蒲郡クラシックホテル」 は、2017年に設立された「日本クラシックホテルの会」に加盟する九つのクラシックホテルの内の1つ。ドラマのロケ地として知られる。(昨年の朝ドラ『エール』(第9・10話)にも登場。)いつかは泊まってみたい。

 平成23年(2011年)、静岡県浜松市の呉竹荘グループが「蒲郡プリンスホテル」を買収し、「蒲郡クラシックホテル」と改称した。なお、「蒲郡プリンスホテル」時代の支配人は、元フィギュアスケート選手・小塚崇彦氏の父の小塚嗣彦氏であった。

(5)蒲形(がまがた)城(下ノ郷(しものごう)城)


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蒲郡市上本町。
平城。蒲郡高校(プロ野球選手の千賀滉大さんなど、出身者に有名人が多い)や市街地となって遺構はない。赤い鳥居がある松下家は屋敷跡で、本丸はJAの駐車場だという。

永正年間(1504-1521)に築城され、上ノ郷城主・鵜殿長善の子・長存が入ったという。
下ノ郷鵜殿氏は、天正18年(1590年)4代・鵜殿長信の時、徳川家康の関東移封に伴うまで続いた。

 鵜殿長善─①長存─②玄長─③長龍─④長信

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 道路を隔てて南東に、竹谷松平家の屋跡があり、蒲郡市博物館には、復元移築された「竹谷松平家大手門」がある。 

(6)上ノ郷(かみのごう)城

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上ノ郷城跡(かみのごうじょうあと)ってなに? (子ども向け)
上ノ郷城跡について

(7)柏原(かしわばら)城


蒲郡市柏原町中原。
遺構が無く、正確な所在地は不明である。

弘治年間(1555-1558)に上ノ郷城主・鵜殿長持の弟・長祐が居城し、柏原鵜殿氏の始祖となる。とはいえ、柏原鵜殿氏は2代で終わった。

・初代城主:鵜殿長祐(鵜殿長持の弟)
・2代城主:鵜殿長忠(鵜殿長照の弟)

(8)竹谷(たけのや)城

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蒲郡市竹谷町泉。
松平宗家3代・信光の長男・松平守家が竹谷へ来住し、天文17年(1548年)に竹谷城を築いて以後、竹谷松平氏の居城となり、天正18年(1590年)6代・松平家清の時、徳川家康の関東移封に伴い、竹谷松平氏は武州八幡山に移った。

なお、蒲郡市竹谷町犬飼にあった「犬飼湊」は、「三州五ヶ湊」(大浜、鷲塚、平坂、犬飼、御馬)の1つである。

松平宗家3代信光─①守家【竹谷松平氏の始祖】─②守親─③親善─④清善─⑤清宗─⑥家清

(9)形原(かたはら)城(稲生(いのう)城)

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蒲郡市形原町東古城。

平安時代の終り頃、方原師光(源師光)によって築かれたという。
その後、明応年間(1492-1500)に松平宗家3代・信光の4男・松平与副(ともすけ)が入って以降、形原松平氏の居城となった。
元和5年(1619年)、6代・松平家信が摂津国高槻藩主として転封されたのを最後に廃城となった。

松平宗家3代信光─①与副【形原松平氏の始祖】─②貞副─③親忠─④家広─⑤家忠─⑥家信

まとめ


 蒲郡市西部地方は、古代には安曇氏が支配していたというが、戦国時代には鵜殿氏(鵜殿長善の子孫)と松平氏(松平信光の子孫)が支配していた。
 鵜殿氏は、紀伊国熊野別当・湛増(熊野水軍の総帥)の子が熊野新宮の鵜殿村に住したことから、「鵜殿」と名乗った氏族で、鵜殿長善が熊野別当家が代々荘園を有していた蒲郡市に移ると、松平氏と共に今川氏に仕えた。(蒲郡市は、平安時代、形原郷、赤孫(赤日子)郷、美養(宮、三谷)郷に分かれていた。赤孫郷は熊野神社領、美養郷は熱田神宮領だったという。)

 鵜殿氏は、大高城主・鵜殿長照が兵糧不足を今川義元に訴えたことに端を発する「桶狭間の戦い」後、宗家(上ノ郷鵜殿家)は引き続き今川家に仕えたが、分家(下ノ郷鵜殿家)は、今川家と訣別した松平元康(後の徳川家康)に仕えた。

鵜殿長善【上ノ郷】┬長将┬長持─長照(「桶狭間の戦い」時の大高城主)
         │  ├長祐【柏原】
         │  └長成【不相】
         └長存【下ノ郷】

松平信光┬長男・守家【竹谷】─②守親─③親善─④清善─⑤清宗─⑥家清
    ├四男・与副【形原】─②貞副─③親忠─④家広─⑤家忠─⑥家信
    └七男・忠景【五井】─②元信─③信長─④忠治─⑤景忠─⑥伊昌

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