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再放送を観た。

・日曜18:00~19:00 視聴メモを取りながら『鎌倉殿の13人』を視る。
・日曜19:00~20:00 『鎌倉殿の13人』の視聴&解説記事を執筆。
・日曜20:00~21:00 PC画面を見ながら『鎌倉殿の13人』を視る。
・日曜21:00~22:00 『鎌倉殿の13人』の復習記事を執筆。
・月曜~金曜 復習しながら記事の加除&修正。
・土曜13:00~14:00 『鎌倉殿の13人』を観る。
が今週の私。そして、今後のルーティンワークとなる(予定である)。

3回目にして、初めて仕事とは無関係に「観た」「楽しめた」。


さて、さて、初見では「ぞっこん」「首チョンパ」が気になった。

「ぞっこん」の語源は「底根(そここん)」(心根。心の底。the bottom of one's heart)であり、当時は「そっこん」と濁らずに言ったと思われるが、『鎌倉殿の13人』の登場人物が「そっこん」と言ったら、視聴者には意味が通じなかったであろう。現代では「ぞっこん」と濁り、本気で惚れ込む様、最上級の惚れ方を示す言葉になっている。
 I love you from the bottom of my heart,ZOKKON.
 ちなみに、今のところ、『鎌倉殿の13人』にシブがき隊(布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英)は出ていない。今回、「ぞっこん」と言ったのは、シブがき隊のメンバーではなく、ラフルアー宮澤エマさんである。日本人の母親とアメリカ人の父親のハーフで、父親は、元駐日代理大使のクリストファー・ラフルアー氏である。(ちなみに、宮沢りえさんは、日本人の母親と、オランダ人の父親のハーフで、夫は、シブがき隊ではなく、V6の森田剛さんである。)
 SNSには、配役は、
・源頼朝 :DAIGO(第74代内閣総理大臣・竹下登の孫)
・北条政子:宮澤エマ (第78代内閣総理大臣・宮澤喜一の孫)
・北条義時:小泉孝太郎(第87・88・89代内閣総理大臣・小泉純一郎の子)
でどうだという書き込み(小泉孝太郎さんは平宗盛)や、源だけに、
・源頼朝 :星野源
・北条政子:ガッキー
でどうだという書き込みが見られた。


「首チョンパ」は、1971年のトンボ鉛筆MONOの販促品で、胴体部を握ると空気圧で首がポーンと飛ぶ玩具である。

北条宗時「源頼朝には坂東武者をまとめた平将門になってもらいたい」
北条時政「平将門なんて最期は首をチョンと斬られてポーンと飛んだ」
※京都の平将門の晒し首は、板東を目指して空高く飛び去ったと伝わる。

 気になったのは、ナレーターが「伊東祐親」を「いとうすけちか」、「北条時政」を「ほうじょうときまさ」と語っていたことである。「の」は姓(「四姓」は源平藤橘)の後に入れ、苗字の後には入れない。「伊東藤原祐親」は「いとうふじわらすけちか」、「北条平時政」は「ほうじょうたいらときまさ」である。
 ちなみに、戦国時代の三英傑は、「織田平信長」(おたたいらのぶなが)、「羽柴豊臣秀吉」(はしばとよとみひでよし)、「徳川源家康」(とくがわみなもといえやす)である。昔は「豊臣」を苗字として「とよとみひでよし」と読んだが、今は「とよとみひでよし」と読む。(大河ドラマ『真田丸』では、『コンフィデンスマンJP』の小日向文世さんが、「とよとみひでよしである」と、「の」を強調して名乗っておられた。)
 北条義時が伊東八重のもとへ源頼朝の手紙を持って行った時、伊東八重の部屋の前で番を「江間次郎」がしていた。ということは、彼は、伊東氏の家人という低い身分であって、江間の領主のような身分ではなく、「えまじろう」ではなく「えまじろう」と呼ばれていたであろう。この時はまだ江間に江間氏は興っておらず、「江間次郎」は「江間氏の次郎」ではなく、「江間出身の次郎」であろう。「江間次郎」とは、「ナザレのイエス」(ナザレ出身のイエス)、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(ヴィンチ村出身のレオナルド)のようなネーミングであろう。

3回見ても分からなかったのは、
・10年前に北条義時が花(アジサイ)をくれたことを八重が覚えていたこと
・北条義時が八重に野に咲く花を渡したことを三浦義村が知っていたこと
である。
 10年前の北条義時は3歳(満2歳)で、現在は13歳(満12歳)である。3歳と13歳では顔が大きく変わり、同一人物だとは気づかないはずである。しかも、3歳時の北条義時は「義時」ではなく、元服前の幼名で呼ばれていた。八重は、「生きてる植物を折って殺した残酷な人」という印象が強烈で、北条義時のことをしっかりと覚えていたようであるが、顔も名前も違うわけで・・・私が八重であれば、「最後にお会いした3年前の上洛の宴で、工藤(当時は伊東)祐経が舞ってる時、なぜ私をジロジロ見てたのですか?(気持ち悪かった)」と問い詰める。
 アジサイが北条館の周辺に咲いているかどうかは知らない。アジサイといえば、鎌倉(の極楽寺)である。また、「野に咲く花」は「(都ではなく)田舎の女性」を指し、「野に咲く花を摘む」とは、都人にとっては、「ぞっこんLOVE」というより「つまみ喰い」である。
 以上、「アジサイを手折った」は「鎌倉殿が田舎娘に手を出した」に通じ、源頼朝と八重姫の逸話には適切ですが、北条義時と八重姫の逸話には不適切な気がします。(アジサイは、花の色が変わっていくので、花言葉は、「移り気」「浮気」「無常」です。10年前から気持ちが変わらない北条義時の象徴ではありえません。)「喜ぶと思ってカブトムシをとってプレゼントしたが、八重姫は逃がした」(男の子が大好きな物をあげたが、女の子は好きな物ではなかった)という逸話の方が似つかわしいと思います。
 あと、源頼朝が、八重姫に「今すぐ会いたい」と書いた手紙を送ったということですが、私が源頼朝なら、「今すぐ会いたい」と直接的な文章表現は避けて和歌にするし、手紙に花を添えて送るけどね。それが「雅(みやび)」というものかと。(まぁ、ここは、都人にとっては挨拶のような文句を、田舎者の八重姫が文面通りにとったという笑えない笑い話にしたのでしょうね。)
 三浦義村が知っていたのは、昔、北条義時が話したからでしょう。「北条義時と三浦義村は何でも話せる仲だった」という設定でしょうけど、近所に住む幼馴染ならともかく、北条から三浦は遠すぎます。

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