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駿河国益頭郡&志太郡の式内社

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 駿河国焼津郡は、「焼津(やきつ)」では縁起が悪いので、和銅の好字二字令により、表記を「益頭(ましず)」に変えたという。後に志太郡が分離したというが、奈良時代には既に志太郡はあった。天平11年(739年)の『駿河国正税帳』に「志太郡」とある。(上の写真は、志太郡衙跡の柱列。)

 平安時代の『駿河国内神名帳』には志太郡の神社が掲載されているが、『延喜式』には掲載されていない。これは、延喜年間(901-923)に志太郡が存在しなかったから掲載されていないのではなく、志太郡に大きな官社(式内社)が存在しなかったのであろう。(もしかして記載漏れ?)
 ちなみに『駿河国神名帳』に掲載されている志太郡の神社は、次の34所である。志太郡にお住みの方には失礼だが、大井神社以外は聞いたことがない。社号=地名の場合もあろうが、社号であれ、地名であれ、耳にしたことがない。「地名は古代からの贈り物」というから、まだ残っているとは思うが。(國玉天神は、名前からして郡衙の横にあって、大国主命を祀ってそうである。「郡屋」は郡衙であろう。「川原」「長田」は有度郡丸子の地名?)『延喜式』に記載漏れがあるとしたら、大井神社であろう。

正五位下 志太郡13所
・大井天神【国史見在社】
・三島第一御子天神
・軍矢㖕剣若御子天神
・八幡別宮御子天神
・長田天神
・金網天神
・山辺天神
・大津天神
・秦山天神
・津知天神
・川原天神
・鞆山天神
・國玉天神
従五位上 志太郡21所
・志太地祇
・手白地祇
・沼上地祇
・礒宮地祇
・藤屋地祇
・度津地祇
・井口地祇
・若電地祇
・小淵地祇
・郡屋地祇
・横須賀地祇
・張木地祇
・小林地祇
・濱田地祇
・小杉地祇
・小松地祇
・小田村地祇
・賀須気地祇
・中懸地祇
・祝部地祇
・栗前地祇

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 大井神社は、水神・弥都波能売命 (みずはのめのみこと)を祀る神社であるが、本来の御祭神は瀬織津姫だとされる。

 大井神社は、今はダム湖の底に眠っている大井神社もあって、大井川付近では下記の41社しかないが、明治初期には大井川沿いに60社以上、分社は、全部で70社以上あったという。

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 国史見在社の大井神社は、大井川の河口(益頭郡=焼津市)に建てられたと思われるが、大井川の河口の位置の変化により、志太郡=藤枝市に遷座後も遷座を繰り返し、現在は藤枝市本町にある。ここに遷る前は、田中城の平島木戸に祀られていたという。

 この藤枝市本町の大井神社を「大楠神社」だとする説もあるが、「大楠神社」は、平島の藤井神社(御祭神は吉野の丹生川上神社の御分霊・弥都波能売命 )、もしくは、式内・大楠神社(島田市阪本)だと思われる。いずれにせよ、田中城の守りとして、式内社、国史見在社レベルの神威の強い神社を遷座したのであろう。

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 現在、最も有名な大井神社は、島田市大井町の大井神社(静岡県島田市大井町2316)である。「我が神社こそ国史見在社の大井神社である」と主張しているが、この島田市大井町の大井神社(静岡県島田市大井町2316)は、大井川上流の谷畠村大沢の大井神社の御神体が建治2年(1276年)の洪水で流され、漂着した場所に建てられた神社(神紋がXなのは、2体の御神像が交差して漂着したからだという)であり、東海道島田宿にあり、奇祭・帯祭りと共に、江戸時代に一気に有名になった神社である。(国史見在社の大井神社は、六国史『三代実録』の貞観7年(865年)12月21日条に載っている神社である。)

★島田市大井町の「大井神社」公式サイト
http://www.ooijinjya.org/

【神社庁登録「大井神社」41所】

榛原郡川根本町 7所
・大井神社 榛原郡川根本町元藤川54
・大井神社 榛原郡川根本町地名1582
・大井神社 榛原郡川根本町東藤川245-2
・大井神社 榛原郡川根本町奥泉261
・大井神社 榛原郡川根本町桑野山236
・大井神社 榛原郡川根本町田代432
・敬満大井神社 榛原郡川根本町千頭750
島田市 13所
【県社】【国史見在社と主張】大井神社 島田市大井町2316
・大井神社 島田市神座1970
・大井神社 島田市伊太1787
・大井神社 島田市大柳326
・大井神社 島田市湯日782
・大井神社 島田市番生寺47
・大井神社 島田市竹下12
・大井神社 島田市川根町身成290
・大井神社 島田市川根町笹間下1236
・大井八幡神社 島田市井口549
・大井八幡神社 島田市福用222
・大井八幡神社 島田市志戸呂950
・大井八幡神社 島田市志戸呂1181
菊川市 1所
・大井神社 菊川市和田428-1
榛原郡吉田町 1所
・大井神社 榛原郡吉田町神戸3693-1
藤枝市 5所
・大井神社 藤枝市青木3-16-4
・大井神社 藤枝市水上30
【郷社】【国史見在社と比定】大井神社 藤枝市本町1-12-20
・大井神社 藤枝市助宗1868
・大井神社 藤枝市岡部町青羽根1071
焼津市 9所
・大井神社 焼津市駅北2-5-13
・大井神社 焼津市保福島1117
・大井神社 焼津市大住473
・大井浅間神社 焼津市袮宜島349
・大井浅間神社 焼津市本中根24
・大井浅間神社 焼津市中根375
・大井八幡宮 焼津市一色1
・大井八幡宮 焼津市道原943
・大井八幡宮 焼津市藤守687
静岡市 5所
・大井神社 静岡市葵区新間1478-2
・大井神社 静岡市葵区水見色396
・大井神社 静岡市葵区井川2246-3
・大井神社 静岡市葵区田代329-1
・大井神社 静岡市葵区小河内32

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 大井川は、北から南へ勢いよく流れてきて、牧之原にぶつかって東に折れ、焼津市が河口であったが、河口の位置は、ドンドン南下していった。
 現在は志太平野に家が立ち並んでいるが、古代は平野ではなく、三角洲(島)であり、古代の遺跡は1つもない(あったが、流された?)。古代の集落は山麓にあった。とはいえ、奈良官道の小河駅が、小泉八雲ゆかりの現在の焼津市小川だとすると、奈良時代には、三角洲が平野に変わっていたかもしれない。(日本武尊は、小川の神岩に船を繋いで上陸し、そこからは陸路で、焼津神社横の「日本武尊御沓脱之旧跡」で沓を履き替え、日本坂を越えたという。)「し」は美称であるから、「しだ(志太)」は「し+田」で、「大井川の流路の変化によって生まれた美田(志太平野)」、「静岡県島田市志戸呂(しとろ)」は「し+泥」で、「窯業(志戸呂焼)に適した素晴らしい陶土」となる。

1.神神社(静岡県藤枝市岡部町三輪)

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 三輪は、岡部宿の南東になります。
 三輪氏は武闘集団で、境界的山脈の山麓に配置されたようです。
 田中城からは高草山(通称「藤枝アルプス」)がよく見えます。この南端(右端)から山を越すのが奈良時代以前の東海道「日本坂越え」で、北端(左端)から山を越すのが平安時代以降の東海道「宇津山峠越え」です。
 山を越え、安倍川を越すと駿府です。駿府から見ると、山は西にあり、「山西」といえば、山の西側のことで、徳川家康の鷹狩の場でした。鷹狩を終えた徳川家康は、御成街道を通り、平島木戸から田中城へ入り、城内の清水御殿で休むというのがパターンでした。(そして、清水御殿で食べた鯛の天ぷらがもとで亡くなったとか。)ちなみに「河東」とは、富士川以東の駿河国のことです。

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 境内には「三輪鳥居」や、雷を捕まえた「雷井戸」があります。

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 神体山の高草山には「田の神様(たのかんさぁ)」が農閑期(旧暦12/8~2/8)に「山の神」として鎮座される「磐座(いわくら)」があります。

2.飽波神社(静岡県藤枝市藤枝)

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 飽波(あくなみ)神社は、湧波(わくなみ)神社ともいい、泉の神様です。本来の御祭神は「川関大明神」こと水神・瀬織津姫命だと思われますが、瀬織津姫命は相殿に祀られ、本殿の主祭神は少彦名命です。多分、大国主命を祀る国魂神社とセットだったと思われます。

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 仁徳天皇6年(318年)に高草山に建てられた神社だそうです。
 永禄3年(1560年)、武田軍の放火によって社殿や古文書は焼失しましたが、御神体だけは神官・曽根彦八貞家が持って逃げ、小祠を建てて祀ったそうです。そして、江戸時代の正徳5年(1715年)に再建したとのことです。

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 境内社は、金山神社(御祭神:金山彦命)と七ツ森神社(上の写真)の2社しかありませんが、七ツ森神社には、熊野社、諏訪社、泉社、進雄社、藤森社、作神社、秋葉社が合祀されています。

3.那閇神社(静岡県焼津市浜当目)

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 「那閇(なへ)」とは「波辺」で、元は静岡県焼津市岡当目&浜当目の浜当目の海岸(奇観・大崩海岸の西)の「御座穴」と呼ばれる洞窟の中に祀られていたとか、鍋崎(鐘ヶ淵)の鍋の吊状の岩の上に祀られていた(ゑびす信仰)とか。

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 その後、半球状の虚空蔵山(当目山。標高126m)の山麓に社殿が建てられ、達磨市で有名な「日本三大虚空蔵菩薩」当目山香集寺(とうもくさんこうしゅうじ)とセットになったようです。

※日本三大虚空蔵菩薩:伊勢国朝熊の「勝峰山兜率院金剛證寺」、京都嵐山の「智福山法輪寺」、駿河国浜当目の「当目山香集寺」。

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 御祭神はゑびす様こと八重事代主命、親神の大黒様こと大國主神で、神前には、八重事代主命石像(手前)と大國主神石像(奥)がありました。神紋は柏ですので、本来の祭神は八重事代主命でしょう。大漁祈願の神社です。

 小川の熊野神社に境内社・那閇神社があります。境内社といえば小祠が普通ですが、熊野神社の境内社・那閇神社は、とても境内社とは思えない立派な社殿です。(もしかして、境内社としては日本一大きな建物?)熊野神社の社伝によれば、「この神社は式内・那閇神社であったが、本殿に熊野神が祀られ、那閇神は、本殿を追い出されて境内社にされた」とのことです。

■「那閇神社」公式サイト
https://nahe-shrine.jimdofree.com/

4.焼津神社(静岡県焼津市焼津)

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「入江荘(いりえのしょう)」にあることから、江戸時代は「入江大明神」と称しましたが、明治時代に入って、延喜時代の社名に戻しました。

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また、妃神・弟橘姫命を祀る橘神社とセットになっており、焼津神社に参拝して橘神社に参拝しないことを「片参り」といいます。

■「焼津神社」公式サイト
https://yaizujinja.or.jp/

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