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『浄宗護国篇』「參州大樹寺中興登譽天室大和尚傳」

「桶狭間の戦い」の後、松平元康一行18人は大樹寺に入り、敵に囲まれ、松平元康は自害しようとするが、登誉上人が現れて問答となり、「武士が生きる目的は、万民から略奪することではなく、万民の苦しみを無くすための戦いをすることである。生きてなせ」と教えられ、「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」という法名と「厭離穢土 欣求淨土」と書かれた旗を頂戴した。
 松平元康は、仏教の真髄=大慈大悲の心に触れ、「将来、平和な日本の国を作るためにはどうあるべきか」を悟り、登誉上人から十念(浄土教において「南無阿弥陀仏」を十回称える作法のこと)を授かり、大樹寺の門閂(現・貫木神)を2度斬り、馬にまたがると、門を開かせ、大樹寺を取り巻く敵と、「厭離穢土 欣求淨土」の旗を掲げ、木杖を持つ80人力の祖同と共に戦って勝利し、翌日、岡崎城に帰還した。

 「桶狭間の戦い」の後、松平元康が大樹寺で自殺していたら江戸幕府はない。駿府に戻っていたら、松平元康は今川氏の武将として名を挙げるも江戸幕府はない。人生、面白き哉。


『浄宗護国篇』目次
參州大樹寺開山勢譽愚底大和尚傳
參州大樹寺中興登譽天室大和尚傳
武州增上寺中興觀智國師傳
武州增上寺阿彌陀佛靈像記

「參州大樹寺中興登譽天室大和尚傳」

 師、諱天室。號信蓮社。登譽、相州小田原人。未詳家族。幼年出家。性豪壯負志以輔宗度生爲己任博通經論尤善講説容貌魁偉以多力聞能敵六十夫。初住洛陽一心院。後、移主參州大樹寺。(師、諱(いみな)は「天室」。「信蓮社」と号す。登譽、相州小田原の人なり。家族未詳。幼年に出家。性、豪にして、壯負志以輔宗度生爲己任博通經論尤善講説。容貌魁偉(かいい)、以多力聞能敵六十夫。初め洛陽の一心院に住す。後に、參州大樹寺に移主す。)
登譽上人の諱は「天室」で、「信蓮社」と号す。登譽上人は、相模国小田原の人で、家族については不明である。幼い頃に出家し、気性は豪快で、60人力の力持ちだと聞いている。最初は京都の一心院にいたが、後に三河国大樹寺に移った(13代目住職)。

 永祿三年、東照神君出師不利脱身奔走入大樹寺時、隨之者僅十八人。
永祿3年(1560年)、松平元康は、戦況不利とみて、戦場を脱し、大樹寺に走り込んだ時、従者は僅か18人であった。

松平元康「今日事急矣。當如之何」

登譽上人「男兒當於死中求生計豈可坐受窘辱乎。嗚呼、檀越之有難者、係我法門之厄也。我雖沙門、頗解兵策能捨身命爲擁護則敵不足懼矣。即ち遣使近村、招募兵士得緇素五百人乃設方略防守寺門」。又、以白布遽裁爲旗大書之曰「厭離穢土 欣求淨土」乃自揭旗規度軍營處所其指揮籌策殆如宿將神君見而壯焉」(男子たる者、死中に生を求めるを(何もしないで)座して受けるは窘辱(きんじょく)なり。ああ、檀越の難有るは、我が法門の厄に係る也。白布を以て旗と為し、書して曰く「厭離穢土 欣求淨土」。)
「男子たる者、死中に生を求めるものを(何もしないで祖先の墓の前に)座って自害しようとは恥ずかしい。檀越(大樹寺の大檀那である松平家)の危機は、我が法門(大樹寺)の危機である。すぐに近くの村に使いを遣り、緇素(出家と在家の信者。緇素は「黒と白」という意味で、黒が黒衣の僧侶を表し、白は俗人を表す)500人を集めて寺を守らせよう」。また、白い布に「厭離穢土 欣求淨土」と書いて旗として掲げた。松平元康は、その旗を見て勇気を得た。

登誉上人
「公從弱齡屢赴戰場不知其心先勇力而事殺戮」(君、弱冠より戦場に向ふ。其の心、唯だ敵を殺害するに在るか)
元康公は若い時から戦場に赴いているが、その心が分からない。殺戮のためか?

松平元康「此是武人之常何煩問爲」(これ、武人の常なり。何のための問答じゃ)
それが武人の常であるから何の疑問も持ってはいない。あたりまえのことで、問答にならない。

登誉上人「殺戮何爲」(殺戮なんの爲ぞ)
何のために殺戮するのじゃ?

松平元康「殺戮之元意欲大振武威、拔城、奪國也。若夫悍然有大志者、則ち豈止如是而已哉有欲遂主萬邦富有天下者也」(武威を振い、功を樹て、城を抜き、國を奪はんとするものなり。大志ある者は天下をも取るものなり)
武を振るい、城を落とし、国を奪うため以外の何ものでもない。最終的には天下を取るのじゃ。

登誉上人「富有天下其亦何爲」(天下を領して其れ亦た何んするものぞ)
天下を取ってどうするのじゃ?

松平元康「興隆家門、光顯父母、留名後世、傳祚子孫其功豈淺淺哉」(家門を興隆し、父母を光顕、名を後世に留め、子孫を榮耀させんがため)
家を興隆して父母を光顕し、名を後の世にまで残して子孫を栄えさせるためじゃ。

登誉上人「夫以德勝人者昌以力勝人者亡不受命於天而惟以殺戮爲威以貪利奪人土地者此是劫賊之事也。假使一旦平敵啓運遂有天下若無道得之、則ち猶如飄風不終朝驟雨不終日其身尚難保之況得傳之於子孫耶又假使富貴如天暫受娛樂忽如一夢報盡命終漂流惡道受苦無量可不懼哉」(天に得ざるの國を劫奪するは之れ奸盜之所爲なり。たとひ運を啓き一たび天下を領すとも、非道にして得ば、則ち何ぞ子孫に傳ふる事を得ん。己れ獨り榮華に傲るとも猶を一陽の春夢の如し。命終の後には必ず地獄楚毒の苦みを受けて何の益か之れあらん)
天に認められない土地を盗むのは泥棒である。たとえ運良く天下を取ったとしても、非道な方法で取れば、子孫に伝わることはない。一代限りの栄華、春の夢のようなもので、死後、必ず地獄に落ちて苦しむであろう。

松平元康「屠城略地國之常而、武人之宐爲之事耳。我未暇思計其善惡。寧恐報果哉。後世、昇沈皆併任師慈救而已幸賜拯濟」(城を屠り、地を略すは國の常にして、武人の宜しく爲す事のみ。我、未だ思計其の善惡を思ん計る暇なし。寧ろ報果を恐るる哉。後世、昇沈、皆、併はせて師の慈救に任せ、幸にして拯濟(じょうさい)を賜はらん)
城を落とし、地を侵略するのは武人の常であり、その善悪などは考えたことはない。寧ろ怖いのは果報(むくい)である。後に悪い事が起きたら、登誉上人の情けで救っていただこう。

登誉上人「公想我實以武業爲劫賊之事乎豈其然哉作業無善惡惟顧其方寸之中何若而已由是竟日執干戈而未必爲惡通夕念誦而未必爲善若自我敎而觀之則ち武業者、菩薩之慈行大權之善巧也。謂『天下非一人之天下而、天下之天下也』(注)然所以立君長而使爲之司牧者非是爲卷天下以給其奢淫驅萬民以供其使役欲使宐能爲大君天下者父母。此民天下之疲癃殘疾得其生鰥寡孤獨得其養萬民之衆各得其所也。是以爲人君者大度寬恕深尚仁慈不刑無辜不爲兵端或有凶惡不軌敎化所不及者不得已而後刑以威之欲人畏而不敢犯也。或有冦賊姦宄爲生民之害者反覆誨示而不可懷來則ち不得已而後奉辭誅之此是以殺止殺之道所謂菩薩之慈行大權之善巧也。公累世奉佛尤歸淨土法門我今依淨敎説撥亂反正之大旨示解甲櫜弓之正訣公當攘除禍亂防禦寇難之時常發往生之心懷度生之志作如是念願凶徒速殱偃武修文念佛之法行于四海仁義之化被于萬方天下無虞稱堯舜之盛世人民豐樂成彌陀之淨刹此願念則是大菩提心也。發菩提心者諸佛護持天神加助所向無敵速致太平易於覆手可翹足待淨土法門以信爲要公赴戰場矢石雨下然不忘從上善願專信彌陀本願中心以爲死生淨土生得勝利死素所期生亦是幸進退無憂一任佛力心住慈愍口唱佛號不雜餘念單刀直入則高城深塹長鎗大劒何足以拒公耶如是決定信心者此由「厭離穢土。欣求淨土」之用心是故我今題之爲旗銘辭然此文之於軍器雖似齟齬深思忖之其義甚當「厭離穢土」者、謂凡一切法以愛速壞以捨永存故取厭捨穢國能致太平使羣生得永存之義也。「欣求淨土」者、謂隨其心淨即佛土淨故取欣求淨心此土先淨紛然亂邦變作淸世之義也。此豈非厭欣意義允當於軍旅之事耶方今海内殽亂人思明君猶如赤子之慕慈母公若欲使天下人民永離禍毒速得蘇息者人皆悅服所向皆下遂有天下國祚延長此是現將軍之身修菩薩之行然則ち股肱籌策之臣將士戰亡之者同得解脱等生淨土公以所説常介胸次敵不足討能信受焉神君大感悟決定信心拜受十念俟敵兵至寺。

有一僧號曰祖同。勇悍多力能敵八十夫時祖同介冑帶刀爲神君御馬敵兵方至已逼寺門緘扄甚固欲入無從神君曰「閉門拒之事似怯弱言未訖拔刀斫門關」。祖同曰「此豈足以煩於君手耶便進破鎖奓戸」。而立神君上馬、祖同執其馬勒而先登從者十八人亦隨突出雄壯威猛無敢近者敵兵大潰神君得捷時有見神兵衞護寺刹者云是神君信心專到之所感乎。翌日乃凱旋入岡崎城。
「大樹寺に一人の僧有り。祖同と号す。年少気鋭にして頗る武を好み、力能く八十人に匹敵す。祖同、元康の馬を御して出づ。元康、敵の已に門に逼るを見て曰く「早く門を開け」。祖同、躊躇せり。元康自から進み、剣を振りて門貫を斬ること二刀。祖同馳せ寄り、止めて曰く、「大将は宜しく此の如くなるべからずなり」と。即にして元康を馬に乗らしめ、自から轡に添ひ、門を開いて先登せり。従臣、寺僧等之に励まされ、勢をなして突き出で、互いに奮戦して終に敵を敗る。然れども寺僧の死するもの、亦、七十余人ありしと云ふ」

(注)「天下は一人の天下にあらず、天下は天下の天下なり」:天下は天下人一人の専有物ではなく、天下の人々の共有物である(『六韜』)。

 全文を現代語訳しようかと思ったけど、金欠でパワーが出ない。「面白きかな人生は」の境地にはほど遠い(泣)。「現代語訳をする時間があったらバイトしろ」と言われて頓挫。
 人生を変えるのは「人との出会い」である。今はじっと耐えて、私の背中を押してくれるサポーターさん(共同研究者、研究支援者)の登場を待つのみ。スキとか、登譽上人のような熱きコメントを待つ。


■『浄宗護国篇』(漢文)

■『浄宗護国篇』(和文)
https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/pdf/1108186979-01.pdf

・観徹述/良信記/珂然校閲『浄宗護国篇』1710
・珂然『浄宗護国篇成語考』(注釈書)
・祐天述『松平崇宗開運録』(『開運記』『啓運記』『徳川啓運記』『大樹帰敬録』『大樹崇行録』とも)
・平野寿則&大桑斉編著『近世仏教治国論の史料と研究』(清文堂)2007
https://seibundo-pb.co.jp/index/ISBN978-4-7924-0628-8.html
・石川達也『浄土宗侶の徳川物語』(『佛教論叢』55号)2011
・大桑斉『近世の王権と仏教』(思文閣)2015
https://www.shibunkaku.co.jp/publishing/list/9784784218110/



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