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安曇氏系図

安曇氏の拠点は全国にあり、どこが発祥地なのか分からない。
系図も分からない。

──愛知県の三河湾も安曇氏の拠点の1つである。

「渥美(あつみ)半島」は「安曇半島」
渥美半島の付け根にある豊橋市の古称「飽海(安久美)」も「安曇」
だという。

※三河湾には、「日本三大珍味」の「海鼠腸」(このわた)の生産地として知られ、紀元前3000年頃から人が住み始めて古代の土器が出土している佐久島(作島、析島)が浮かび、付属島として「筒島」「大島」がある。「筒」は住吉三神の神名、「佐久」は安曇氏の宇都志日金拆命を連想させる(石拆神、根拆神、石筒之男神も思い出す)が、「佐久」は、八剱神社・神明社(
愛知県西尾市一色町佐久島字西屋敷)の神明社の由緒によれば、崇神天皇の御世、伊勢神宮の創建時に、伊勢国多気郡斎宮郷にいた佐久彦命が移住して農業を始めたことが島名の由来で、この「佐久彦命」は「宇都志日金拆命」のことだが、安曇氏の祖神ではなく、神明社を建てて天照大神を祀ったという。

 蒲郡市には、弥生時代の赤日子遺跡があり、安曇氏が祖神を祀ったという赤日子神社がある。

 赤日子神社のご祭神は、
・彦火々出見尊
・豊玉日子命
・豊玉比売命
である。

 この三柱の神々が、安曇氏の祖神だとすると、安曇氏の系図は次のようになる。

         豊玉日子命┬振魂命【尾張氏】
              ├宇都志日金拆命【安曇氏】
              ├────────玉依姫命
              └豊玉比売命  ├神武天皇【天皇家】
                  ├─鸚鴉草葺不合尊
 天照大神─天忍穂耳尊─瓊瓊杵尊─彦火火出見尊
           (天孫) (山幸彦)

 しかし、『古事記』は、三柱の綿津見神(底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神)が安曇氏の祖神だとする。

次に水の底に滌ぐ時に、成れる神の名は、底津綿津見神。次に底筒之男命。中に滌ぐ時に、成れる神の名は、中津綿津見神。次に中筒之男命。水の上に滌ぐ時に、成れる神の名は、上津綿津見神。次に上筒之男命。此の三柱の綿津見神は、阿曇連等の祖神と以ち伊都久神なり。故、阿曇連等は、其の綿津見神の子、宇都志日金拆命の子孫なり。其の底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨江の三前の大神なり。

『古事記』

  伊邪那岐命─綿津見神─宇都志日金拆命【安曇氏】

 これらを考慮して太田亮氏が制作したのが、下の「海神流」系図(『系図綱要』)である。

太田亮『系図綱要』

  大綿津見神(豊玉日子命)┳宇都志日金拆命【安曇氏】
              ┗
穂高見命【安曇氏】

 この系図の欠点は、安曇氏の祖が2人いることである。宇都志日金拆(于都斯奈賀)命=穂高見命(異名同一神)であろう(穂高(安曇野)に移住後の宇都志日金拆命の名が穂高見命であろう)。
 神名の「宇都志」は「この世」「現実」の意(8つの名を持つ大国主命の別名の1つは宇都志国玉神)で、実名の「金拆」は「カナサク」と読まれているが、実は「カナサキ」であり、金崎生まれとする説もある。

 とはいえ、いづれの系図も間違っている! 安曇家を天皇家と結びつけようとして書き換えたのであろうが、『古事記』が正しければ、

  綿津見神┬宇都志日金拆命【安曇氏】
      └玉依姫命─神武天皇【天皇家】

であるから、安曇氏の祖・宇都志日金拆命は、神武天皇の伯父(母の兄)になり、系図を書き換えなくとも、安曇家と天皇家は深い関係にあることになる。こうなると、神武天皇が日向国から大和国へ行けたのは、安曇氏の船と航海術の賜物だとさえ思えて来る。

 さて、上の系図が全て間違いだという理由は、
──私が調べている安曇磯良が出てこないから
である。(「安曇磯良は、系図上では鸚鴉草葺不合尊」とする安曇磯良=鸚鴉草葺不合尊説がある。)
 安曇磯良は、神功皇后の三韓征伐後、「海に帰った」という。海に帰った=殺されて海に沈められた(春日大社の若宮おん祭の「細男」は安曇磯良の鎮魂の舞)だとすると、猿田彦命の死に方(殺され方?)を思い出すので、宝賀寿男氏の安曇磯良=猿田彦命説(『猿女の君の意義』「稗田阿禮の周辺(中)」)の方が、安曇磯良=鸚鴉草葺不合尊説よりもまだ理解できる。さらに言えば、安曇磯良=高良玉垂命説の方がもっと理解できる。)

 さて、正しい系図は、次のようになろう。

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