見出し画像

伝説、伝承、創作、そして史実

 以前、大河ドラマの撮影で、お市が、兄・織田信長に、夫・浅井長政の裏切りを知らせるのに、両口を縛った小豆袋を使おうとしたところ、時代考証の小和田先生が「それは史実ではない」と中止させたという。今回の大河ドラマでも小豆袋は使われず、小豆の擬人化キャラ・阿月が使われるだろう。

 史実は、織田方の細作(忍者)が次々と「浅井逆心」を伝え、最後に浅井方の使者(浅井長政を裏切った家臣?)が来て伝えたという。
 話としては小豆袋の使用が面白いし、絵的には服部半蔵の忍者走りを見てみたい。浅井方の使者が来て、逃げる準備をしている時に、服部半蔵が来て「大スクープです。浅井逆心」と伝えるとか(笑)。
 私が脚本家なら、豊臣秀吉が放っていた忍者が豊臣秀吉に「浅井逆心」と伝え、豊臣秀吉が織田信長に「浅井逆心。ついては殿(しんがり)を某(それがし)に」って感じにするけど、それでは地味だし、主人公・徳川家康よりも豊臣秀吉の方が目立ってしまう(笑)。


 築山殿については、神君の黒歴史として、史実が記録されていないようである。「永禄5年に離婚」とされてきたが、浜松では「離婚は、遠江侵攻に利用した後の永禄末」とする。一方、岡崎では「別居はしたが、離婚はしていないし、浜松へも行っていない」とする。
 何が伝説(庶民間の言い伝え)で、何が伝承(史実に尾ひれが付いた話)で、何が創作(優秀な作家の作り話)で、何が史実(真実)なのか?
 証拠(手紙や日記といった一次史料)が無い場合、最も蓋然性の高い話(矛盾が無い話)が史実だとみなされる。「水野信元が織田方についたので、水野信元の妹・於大の方が離縁されたように、清須同盟に際して、今川一族の築山殿は離縁された」と言われると納得してしまう。とても自然な流れなので、反論できない。実際、これまで多くの人々がそう信じてきた。しかしこれは、警察が状況証拠だけで容疑者を逮捕するようなものであり、犯人とする決定的な証拠が無いから、冤罪の可能性もある。史実ではなく、定説、通説、有力説の段階にとどめ、後人の研究を待ちたい。

 徳川家康については、日本の歴史上の人物で、最も研究が進んでいる人物だと思われていたが、彼についての研究書、伝記は、「神君家康公は悪いことはしない」という立場の「徳川中心史観」で描かれており、もしかしたら日本の歴史上の人物で、最も研究が遅れている人物なのかもしれない。
 たとえば、正室・築山殿については、
・性格が悪く(嫉妬深く淫乱)、武田氏と内通していた人物
であり、殺されて当然の人物であったが、神君は人格者であるので殺さなかった。しかし、
・織田信長の命令で、泣く泣く殺した。
とする。
 この「徳川中心史観」というフィルターをはずした実際の築山殿が『どうする家康』で描かれている。美人で、性格もいい。彼女の一族の今川義元も人格者である。ここまで素晴らしく描かれてしまうと、「徳川中心史観というフィルターをはずした姿」というよりも、「今川中心史観というフィルターをはめた姿」ではないかと思えてしまう。


※3年間続けているけど、全く芽が出ない「Webライター(自称)」(今はnoteで記事を売ってるだけ)ですが、いつかは「誰もが認めるWebライター」(仕事依頼が来て、生活費を稼げるプロのライター)になりたくて毎日記事を19時頃にアップしています。
応援してね (●o≧д≦)o

※記事の販売費やサポートは、文献取材と現地取材の取材費に使わせていただいています。現在は赤字ですが、黒字になったら、カメラ(撮影機材)とパソコン(編集機材)を買って動画配信をしてみたいです。(動画配信の方法を丁寧に詳しく教えて下さる方、募集中!!)。
応援してね (●o≧д≦)o

※明日の記事は「最近の築山殿関連記事一覧」の予定です。
お楽しみに (*≧▽≦)bb

記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。