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三穂津姫命

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 大国主命は、「国譲り」の時、『日本書紀』では「於百不足之八十隅將隱去矣」、『古事記』では「於百不足八十坰手隱而侍」(百(もも)足らず八十坰手(やそくまで)に隱(かく)りて侍(さもら)ひなむ)、つまり、「100に20足りない80回折れ曲がった道の先で隠居します(もう出てきません)」(出雲人は「8」「80」が好きらしい。普通は「100に1足りない九十九折(つづらおり)」って言いますよね)と約束しています。
 学者は「隠れる」を「隠居する」ではなく、「死んだ(殺された/自殺した)」「黄泉国へ行った」と訳しています。確かに出雲の祭りは、全国から神々が集まって無言で執行されます。まるでお葬式のようです。
 「カミ」の語源は江戸時代は「上」で、「祖先の霊魂」が神だと解釈されていましたが、国語学の発達により「上」と「神」の「み」の発音が異なることが判明し、現在、「カミ」の語源は「隠身」とされています。ということは、「隠れる」を「神になる」と訳してもいいのかな? 大国主命の「出雲に隠れよう」は、徳川家康の遺言の「日光に祀れ。関八州の神とならん」のようなものかな?

 さて、隠居した国津神・大国主命の所へ天津神・高皇産霊尊がやって来られて、「本当に日本国を天津神に譲ってくれるのか? お前は国津神と結婚しているので信用できないが、天津神と結婚するなら信用する」と言いました。隠居した=俗世間(政治)との関係を断ったのですから、学者に言わせれば死んでいるのですから、結婚などするはずないのですが、大国主命は「国譲り」の意志を高皇産霊尊に示すため、高皇産霊尊の娘・三穂津姫命(天津神)と結婚しました。

※『日本書紀』(巻2)「神代下」
時高皇産靈尊勅大物主神、「汝、若、以國神爲妻、吾猶謂汝有疏心。故今以吾女三穗津姫配汝爲妻、宜領八十萬神、永爲皇孫奉護」。
(「国譲り」の後、高皇産霊尊は、大物主神(大国主命の奇魂・和魂)に対し、「お前がもし国津神を妻と為したならば、私は、お前がまだ納得していないのだと判断する。そこで、今、私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万(やおよろず)の神々を率いて、永遠に皇孫をお護りせよ」と勅した。)
※「村屋坐彌冨都比売神社」公式サイトより
 大国主命(大物主命)の后神として高天原から稲穂を持って降り、稲作を中津国に広めたと謂われる三穂津姫命。后という漢字は正妻の意味です。
 大国主命の正妻といえば須世理姫神を思い浮かべますが、三穂津姫神は国譲り後、中津国の姫神が正妻であるのは信用ならぬと、国譲りの証と誓いの一つとして高天原より降ったという謂われもあるようです。
 多くの妻を持った大国主大神の最期の妻であり、天津神と国津神を繋ぎ結んだ姫神であり、新しい時代の始まりの象徴の様にも感じます。


★三穂津姫命を祀る神社

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