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「鶴瓶の家族に乾杯 麒麟がくるSP!川口春奈と岐阜県山県市ぶっつけ本番旅」2020年5月18日

1.四国山城

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四国山城は、斉藤道三が土岐頼芸が篭もる大桑城を攻めた時、大桑城への兵糧入れを防ぐために、斉藤道三が安東右京に作らせた城です。兵糧が不足した大桑城では、土岐頼芸の臣・恩田孫十郎(当時18歳)が、食料調達の決死隊を編成して四国山城を奇襲し、見事に城を落としたそうです。その結果、恩田孫十郎は、土岐頼芸から山県郡内に領地を2ヶ所と「土岐の鷹」と呼ばれる絵(土岐頼芸が好んで描いた鷹の絵)を拝領したそうです。

土岐家滅亡(土岐頼芸の近江国逃亡)後、恩田孫十郎は浪人となるのですが、明智光秀の側室・原仙仁の娘の妹を妻にしていたので、明智家に仕官し、「義弟・明智孫十郎直経」と名乗り、大村由己『天正記』「惟任退治記」によれば、本能寺の変の時、近衛邸横の二条御新造での戦いで、織田信忠に討ち取られたそうです。享年42。(42歳の男の妻の姉と結婚したとすると、明智光秀は、40代後半か。また、福島正則(1561-1624。本能寺の変の時は22歳)の妻は明智光秀の妹だという(『知新集』)。そうすると、明智光秀の享年は20代か? というのはありえない。「年の離れた側室」であろう。)

・井上慶雪「明智光秀の妻」(『文藝春秋』。明智光秀の側室は6人!)
・妙慶院縁起 http://wajun.or.jp/engi/

原仙仁は公家で、娘は何人いたか知りませんが、内侍・小侍従は、近衛邸に乳母として入り、春日局のような活躍をしていたようです。

名物は元気玉バーガーなのか・・・。

2.桔梗塚(白山神社)

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白山神社と桔梗塚(明智光秀の墓)の一帯(地名でいうと「古屋敷」)は、大河ドラマ「春日局」の時、「光秀公園」として整備されました。当時は顔出し看板もありました。

明智光秀(荒深小五郎)─乙寿丸(荒深吉兵衛光頼)…⑬荒深光正

驚いたのは、川口春奈さんが「明智光秀は生き延びたと学校で習った」と言ってたこと。そんなこと、テストの解答欄に書いたら、バツだと思うぞ。

川口春奈さんの絵馬・・・盗まれなければいいのですが・・・宝物館へ入れた方がいいのではないでしょうか? ついでに、明智光秀に関する古文書(明智光秀埋蔵金のありかを示す暗号が書かれた古文書など。閲覧は可能ですが、写真撮影不可)や、「日本にたった2枚しかない」(もう1枚は岸和田市の本徳寺)と言われる明智光秀の肖像画も宝物館に入れた方が良いと思います。(現在、宝物館に展示されているのは、本徳寺の肖像画の模写です。)

・荒深弥左衛門『土岐氏後胤荒深家系図』

【後日譚】桔梗塚(白山神社)の訪問者は、TVで放映された次の土曜日には1500人、日曜日には1800人。川口春奈さんの絵馬は宝物館に移設されたそうです。

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以下は桔梗塚の石碑・「光秀卿古墳縁由」碑の碑文です。

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