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天寧寺(滋賀県彦根市)

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 天寧寺は、彦根井伊氏初代・井伊直政(当時の名は松下虎松)が3~10歳の7年間、面倒を見ていた浜松の浄土寺の守源(天寧寺の史料では「殊玄記室」)開山の宗徳寺(井伊直政の母親の菩提寺)の後身寺である。

■ 龍潭寺9世・祖山法忍『井伊家伝記』
 浄土寺守源、直政公え懇意の事は、松下源太郎、浜松住宅の節、浄土寺え御出入被成候にて、御手習等、被成候故、懇意に御座候。右、浄土寺守源、御指南申候事は、天正3年後、直政公、権現様え御出勤以後の事也。右守源は、直政公御立身の上、還俗致候様に被仰付候得共、還俗不致、乍出家、小納戸役、被仰付候て、上州箕輪、江州彦根迄参候。彦根にて、直政公、宗徳寺え被仰付、一生、御介抱被遊候。右、宗徳寺は、直政公実母「蘭庭宗徳大姉」の為に御建立故、「宗徳寺」と申し候由、承及申し候。
【大意】守源は、浜松の浄土寺の僧で、井伊直政が松下虎松と名乗って浜松の松下屋敷にいた時の手習いの師であった。後に井伊直政が出世すると、「還俗して家臣となれ」と命じたが断ったので、出家の身でありながら小納戸役として、箕輪(前橋)、彦根と井伊直政に従った。彦根に移ると、井伊直政は、母の菩提寺・宗徳寺の住職に任命した。)
※現在の「浄土寺」は普済寺の前にあるが、井伊直政が通った浄土寺は東鴨江にあった。松下屋敷は、引間城の南門前にあり、子供が歩いて通える距離である。

 彦根井伊氏11代(13代、14代とも)宗主・井伊直中は、不義の子を妊娠したとして腰元を処刑したが、後に相手が長男・井伊直清だったことが判明し、母と子(腹の中の孫)の追善供養のため、宗徳寺を現在地に移し、井伊直政の菩提寺・清凉寺の住職・寂室堅光(1753-1830)を招いて天寧寺開山としたという。

井伊直政┬直継(直勝)─【掛川藩主家】直好─直武─直朝=直矩(与板へ)
    └直孝┬直滋
        ├直寛
        ├直時─直興(直澄の養子に。直次、直該)
        └直澄=直興┬直通=直恒
             ├直恒(直通の養子に)
             ├直矩【与板藩主家】─直陽…
             ├直惟┬直定=直英─直中───┬直清
             └直定├直禔(直定の養子に)├直亮=直弼
                  └直英(直幸)    └直弼

井伊直中=11代(天寧寺案内板。同一人物を2度カウントしない。)
①直政─②直孝─③直澄─④直興─⑤直通─⑥直恒─直該(直興が改名して2度目)─⑦直惟─⑧直定─⑨直禔─直定(2度目)─⑩直幸─⑪直中─⑫直亮─⑬直弼…
井伊直中=13代(一般的)
①直政─②直孝─③直澄─④直興─⑤直通─⑥直恒─⑦直該─⑧直惟─⑨直定─⑩直禔─⑪直定─⑫直幸─⑬直中─⑭直亮─⑮直弼…
・井伊直中=14代(普通は直継を加えない)
①直政─②直継─③直孝─④直澄─⑤直興─⑥直通─⑦直恒─⑧直該─⑨直惟─⑩直定─⑪直禔─⑫直定─⑬直幸─⑭直中─⑮直亮─⑯直弼…

★彦根井伊氏系図(彦根城博物館)
https://hikone-castle-museum.jp/history/pdf/family-line.pdf

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・五百羅漢像(彦根市指定文化財)

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・彦根井伊氏15代宗主・井伊直弼供養塔
(今日の『青天を衝け』の大河紀行に登場!)

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・たか女の碑

 天寧寺には、NHK大河ドラマ第1作『花の生涯』のヒロイン・村山たか女(1809-1876)の碑もある。
 村山たか女は、井伊直弼の愛人で、井伊直弼とは天寧寺で逢瀬を重ねていたという。そして、井伊直弼が大老として江戸に住むようになると、井伊直弼の密偵となり、京都の情報を送っていたという。

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