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三河国から遠江国へ(1/3)砥鹿神社

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 三河国の三霊山といえば、本宮山、猿投山、六所山であり、それぞれに古社がある。本宮山にあるのが、三河国一宮・砥鹿神社である。

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 砥鹿神社は、山間部と平野部の境にあり、「砥鹿(とが)」の意味は、「兎我野(刀我野、都下野)」であって、「扇状地」、もしくは、「新羅語で「日の出」を意味する「都祈野(ときの)」の転訛」だというが、私は「渡河」だと思っている。「十鹿」は俗説であろう。

 本宮山の山頂付近に奥宮、山麓の、それもかなり離れた豊川の河岸段丘の上に里宮がある。(「三河一宮」は、正確には里宮のことだという。)

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 里宮の社殿は、なぜか本宮山を向いていないので、本宮山は遥拝所から拝むことになる。

 ──では、里宮の社殿はどこを向いているのか?

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 里宮が向く方向には、旧里宮跡がある。(現在は石碑のみ。)
 里宮はここを向いているのか?

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さらに進むと津守神社がある。
現在は砥鹿神社の末社になってしまったが、古代では、里宮よりも巨大な神社だったという。

 ──里宮は津守神社を向いているのではないか?
 ──「砥鹿」は「渡河」ではないか?

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 なお、津守神社の境内には、ここに遷された饌川(おものがわ)水神社がある。本来の饌川水神社は、旧里宮の河岸段丘下の湧き水(干魃の時も枯れた事がないという横井戸)の脇にあった。神饌の調理など、砥鹿神社で使われる水は、全てこの横井戸の水が使われたという。

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 古代の砥鹿神社は、里宮でも、本宮山の奥宮でもなく、「奥の院」だという。ここには巨大な岩があり、その上で主祭神・大国主命が国見をしたので「国見岩」と呼ばれている。また、岩の下には岩戸神社がある。
  「男道」は鎖を使って、「女道」は階段を使って登り下りする。

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 山頂は神の座所であるので、近寄り難い。古代の祭祀場は、山頂の少し下に、設けられるものである。本宮山の山頂「丸山」よりも下に「天の磐座」があり、その前の広場が祭祀場である。

【まとめ】
・古代の砥鹿神社:「奥の院(国見岩)」と「天の磐座」
・奥宮:山ノ神
・里宮(三河国一宮):川ノ神から里ノ神へ変貌

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