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遠江伝承集

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『遠江古蹟図会』など遠江国(遠州。現在の静岡県西部地方)の伝承
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記事一覧

NHK『ダークサイドミステリー』「世界の怪鳥・聖鳥伝説を追え!〜ヤタガラスから翼竜生…

世界の怪鳥・聖鳥伝説を追え!〜ヤタガラスから翼竜生存説まで〜初回放送日: 2024年4月2日 神…

田沼意次(2025年NHK大河ドラマ『べらぼう』では渡辺謙さん)

・「大奥」(2023年、NHKドラマ10、當真あみ→松下奈緒) ・「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(…

藤長庚『遠江古蹟図会』065「瀬戸村之郷士」

『どうする家康』の神君・家康公は、何の苦も無く遠江国に入り、瀬戸方久の出番は無し。1人2役…

藤長庚『遠江古蹟図会』044「掛川雲霧城」

 徳川家康が小笠山砦から大砲で掛川城を撃とうとすると、掛川城の三日月堀から霧がたち、掛川…

藤長庚『遠江古蹟図会』093「築山君之碑」

 東海道53次・浜松宿(静岡県浜松市)の北、5~6町(1町=109m)離れた場所に、高松山西来院…

藤長庚『遠江古蹟図会』053「兜塚 梅酢原」

兜塚:直径80m、高さ8mの円墳で、鏡や勾玉が出土している。2段になっており、兜の形に似ている…

藤長庚『遠江古蹟図会』083「万能之挑燈野」

 「一言坂の戦い」で敗れた徳川家康は悔しくて、武田信玄軍を夜襲して一矢報いたとされるが、「武田信玄軍」ではなく、「武田勝頼軍」だと考えられる。  徳川家康は、武田信玄軍が攻めてきた時、犀ヶ崖で「布橋の計」を使い、全滅を目論んだが失敗したことを悔しく思い、武田勝頼軍が攻めてきた時に万能村(後に上万能、下万能に分割)の「揺(ゆるぎ、石動)」という沼地で再度「布橋の計」(深田に布の橋を架け、三つ葉葵の紋が描かれた提燈を持つ藁人形に突進させる)を使い、50騎討ち取ったという。そして

浜松市の徳川家康伝承

 浜松市と岡崎&静岡市の違いは、「徳川家康」を「家康公」と呼ばずに「家康」と呼び捨てるこ…

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藤長庚『遠江古蹟図会』067「西郷石ヶ谷の石」

・地名「構江」 :戸塚忠春の屋敷。現・構江公民館。 ・地名「平塚山」:西郷政清の要請でや…

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藤長庚『遠江古蹟図会』090「浜松犀ヶ峠」

■「犀ヶ崖」の名の由来 ①【俗説】長期間の暴風雨で崩れて溝(ガリー、クーロアール、ルンゼ…

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藤長庚『遠江古蹟図会』015「信玄拝領之笛」

■武田信玄拝領の一節切  武田信玄がいつ、どこで亡くなったのかは不明ですが、「三方ヶ原の…

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杉浦国頭『曳駒拾遺』「御前谷」

 岡崎を出た築山御前は、三遠国境の本坂峠を越えると、三ヶ日から舟に乗り、佐鳴湖畔の「大等…

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『曳駒拾遺』「洗池」

 築山殿の介錯をした野中重政(『どうする家康』では女大鼠)が、使った刀(2尺3寸の相州貞宗…

藤長庚『遠江古蹟図会』「二俣古城」

松平信康の自害については、既に2年前の3月9日に書いた。 この記事に、松平信康の墓は、 ①【遺灰】 信康山長安院清瀧寺(静岡県浜松市天竜区二俣町二俣) ②【首塚】 若宮八幡宮    (愛知県岡崎市朝日町森畔) ③【遺髪】 市中山長光院江浄寺(静岡県静岡市清水区江尻東3丁目) ④【供養塔】専称山安養院西念寺(東京都新宿区若葉2丁目) とあるが、今の私の頭脳はアップデートされて、 ・自害場所:二俣城本丸の松の根元説、二の丸御殿説 ・廟所 :信康山清瀧寺 (胴体を焼いた遺灰

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