藤長庚『遠江古蹟図会』083「万能之挑燈野」
「一言坂の戦い」で敗れた徳川家康は悔しくて、武田信玄軍を夜襲して一矢報いたとされるが、「武田信玄軍」ではなく、「武田勝頼軍」だと考えられる。
徳川家康は、武田信玄軍が攻めてきた時、犀ヶ崖で「布橋の計」を使い、全滅を目論んだが失敗したことを悔しく思い、武田勝頼軍が攻めてきた時に万能村(後に上万能、下万能に分割)の「揺(ゆるぎ、石動)」という沼地で再度「布橋の計」(深田に布の橋を架け、三つ葉葵の紋が描かれた提燈を持つ藁人形に突進させる)を使い、50騎討ち取ったという。そして