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すいせいボールペンととりとめ

 今まで水性のボールペンがあまり好きじゃなかったのだけど、最近書き口のよいボールペンを見付けてからその水性ボールペンばかり使っている。とうめいな量産のペン軸に、スヌーピーの特別な模様を入れた芯を入れて売っていたもの。何年前だか忘れたけれど、かわいかったから買ったものだ。スヌーピーの芯の中のインクは使い切ってしまったから、別の、なんの変哲もない黒と透明の液体が詰まった替え芯を使っている。インクがちょっと薄いからか「濃い」を売りにした商品も同時展開されているんだけど、どうもノートを貫通してしまうから好きではない。

 なんてことないことを書いた。というのも、「何か書かなきゃいけないな」と思ったのだけど、何を書いたらいいかもわからないし、話を考えようとしても話がまとまらないし、続きを書かなければならない物語は全部他人みたいな顔をして静かにしていて、私はともかく孤独なのだった。孤独だけど、誰かに手紙を書きたい……ということにしておく。

 隣では夫が配信活動をしている、音もたてずにタイピングしている私と騒々しくゲームを飾っている夫の声とが交差している。私はヘッドフォンから適当にシャッフルした音楽を流し込みながら、誰かの造ったメロディーと誰かのつくった日本語を聞きながら、全く別の日本語を書いている。たまにその歌詞をそのままタイピングしてしまいそうになりながら。

 何か面白いことを書こうとして全く何も出てこず、右上の数字が無意味に増えていくのを見ながら(文字数カウントのことである)、ああ、今日チョコ食べ損ねたなって思い出す。サビ残して午後六時まで会社に居て、でも家では六時から家で食事をすることになっていたからコンビニにも寄らずに家に直帰して、事故らないようになんとか家に帰って。そうしたらまだ息子(私の配偶者)が帰ってこないから義家族はお腹を空かせて待っていた。私のお腹も減っていた。
 今日はシチューだった。なかなか食べられないものだからみんなばくばく食べた。というのも義父がホワイトソースを好まないので、なかなか食卓に上らないのだった。義父が飲み会の今日を狙って出されたメニューにみんな大喜びだった。私は皿を洗う。明日は朝いちでチョコを買おう。そして職場でおやつに食べるのだ。

 シャッフルしていた曲の中からクリーピーナッツの「助演男優賞」が流れてきた。助演男優、いや助演女優賞すら獲れない人生だと自覚はしている。特段才能はない、と思う。
 誰もが振り向くような美しい文章を書けたらもっと胸を張れたかもしれないが、悲しいかなこれくらいの文章を書く人なんかごまんといるわけだ。餅は餅屋、肉は肉屋、野菜は八百屋だし歌は歌手が一番だ。そのりくつでいくと文章は小説家や作家の領分であって、私のようなものが文章屋を名乗るのはおこがましいというものである。
 じゃあ何ができるのと言われたら、何となく文章を書くことだけだ。今は特に調子が悪く、恐らくは季節の変わり目の気圧や強風や連日の雨のためであろうが、職場ではすこぶる辛気臭い顔を晒し「体調悪いの?」の言葉を皆から引き出しつづけている。悪いです。かといって家に帰るわけにもいかないので、ふらふら働いている。

 「キャロット通信の崩壊」を読む。自分が「社会の歯車である」と割り切ったあとの人間がどうなるかと言うと、「自分が何者か」であることについて考えることを停止する。私がいい例だ。私は一生ここで擦り切れるまで働くんだろうなという予感がある。良くも悪くも自分に期待していない。何かを変えてくれるきっかけを待っているけれど、きっかけなんか迎えにでも行かない限りやってくるものじゃないんだから、待つ行為が無駄であることは良く知っている。やっぱり私に出来るのはだらりだらりと文字を書くことだけなのかもしれない。期待されない文字を書く。

 でもほっといてもなんか書いてしまうのは才能なのかもしれないと思う。この文章が面白いかどうかは分からない。とりあえず書かなきゃならないという焦燥を慰めるために書かれた文章に過ぎないので、日記というよりか公開自慰に近いのだが、これを読んだ誰かは、こいつかわいそうな奴だなとか、こいつ哀れだなとか、こいつ書くのに向いてんのかな?とか思ってほしい。それだけでいい。私は夫の配信を聞きながら、音楽を聴きながら、それなのに孤独で、今にも泣いてしまいそうだ。


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