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【ネタばれしない映画評】ベティブルー

フランス映画を観てみたいと思い、
ただなんとなく手にとったのが「ベティ・ブルー」だった。
冒頭からのセックスシーンはとても野性的で、
人というよりも生き物と言う方がしっくりくる感じの交わりだった。

「何だかとんでもないものを借りてしまったかな。」と感じたが、観終わった後には手元に置いておきたい作品だと胸を張って言える。
はじめのうちはセクシャルな表現が猥雑であるというオブセッションにとらわれていたけど、観ているうちにそれが普通なことになってくるのだ。
(ベティの猟奇性は、性急さと見紛うばかりのオープンなセクシャルさ。)
それは恥ずべきものとしてきた不文律みたいなものがすっと消えていく。
セクシャルな本能を理性で抑えて生きていくことができるのが人間であるみたいなことを誰かが言っていたことを聞いたことがあるけれども、そんなことどうだっていいじゃないかと思わせてくれる安心感みたいなものがあった。

本当は男と女は「ああいう風」に愛し合いたいのだ。
日本人は特に性に関して潔癖なイメージがある。
「いつだってもっとオープンな心で欲するものを
求めたらいいんじゃない?」
ってきっとフランスの人は日本人に言うだろう。
他にもユーモアのセンスが抜群にあるなと思った。
(もちろん、これはフランスという国の現実というよりフィクションとしての脚本、原作者の腕に依る所がきいのだろうけれど。)
決して下品じゃなくて、そうこられちゃしょうがないなあと、
許しちゃうようなユーモア。
誰もがお笑い芸人みたいなセンスがあるんだけれど、
あくまでもクールな感じ。
いいなあ。

そして、お金じゃない愛みたいなものもぐっと感じることができる。
「あなたがいればそれでいいのよ。」
を実感できる。あなたがいればそれでいいのよとは、
「四六時中あなたと一緒に過ごせて、毎晩必ずセックスしたくなる
ようなあなただったらいいのよ。」ということだと。
それほどにまで好きになれるような相手に巡りあう、あるいは過ごしているうちにそう思えるようになる、なんてことは億万長者なんかになることよりも難しいことに感じられて、少し悲しくもなった。

現実は「お金がある。」「顔がいい。」とかそういう理由が相手の魅力の要素に勘定されてしまうことが少なからずあるだろうし、映画、フィクションだとはわかっていても、ベティとエルグの関係性が羨ましく思えてならなかった。
人間の本能であるセクシャリティを極限にまでオープンにしたからこそ、
「掛け値なしのはだかの好意」みたいなものがフィクションにも関わらず力強いリアリティとして伝わってきたのだろう。


PS

エディとリサのこと。
彼らもとても魅力的だった。
計略なんてない、朗らかな雰囲気で、
もちろんユニークでクールだった。
フランス人の国民性なのか、
誰とでもキスしたりハグしたり、
とても幸せそうに。
まるで、
「こうやって毎晩酒を飲んで、踊って、楽しければそれでいいさ。
もちろんすることはしなきゃならんがね。」
って教えてくれているような気がした。
そして友人と同じように家族も大切にしている。
どれだけ毎晩どんちゃん騒ぎをしていても、
こころの中心にはそれがあった。
裸の女性が立っている刺繍のされた黒いネクタイをしめて
エディは今までと同じように努めて生きていかなければならない。

それにしても、
これほどいろいろなところが熱くなる映画は初めてだ。
登場人物のすべてが有意義だった。
どれが欠けてもいけない要素だった。
つまり、ある意味で完璧に近いんじゃないかな。






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