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週末は木立の中へ引っ越し 16 / 十数年経って思うこと

早いものだけど、週末田舎生活も十数年も経った。

いろんな事があったなぁ、と思う。

徒然なるままに書いていこうと思う。

時間の速度が違う

忙しい時もあるけれど、広い青空を眺めてホッとできる時間がある。都会ではそんなことは出来ない。人にぶつかってしまうし、迷惑だろうなぁ。

時計を見れば同じ1時間なのにゆったりとしている。

時間の速度が違うのだ。

都会だと時速80キロぐらい

田舎だと時速20キロぐらい

「んな、アホな、」って言われそうだけどそう感じるんだ。

川に急流と緩流があるように、「時間」にも急緩があるように思う。そういうふうに感じたことありませんか?

自由にできる地面があること

都会だとなかなか地面がない。ましてやマンション住まいだと1F以外は難しいですよね。

田舎ではドアを開けても掃き出し窓を開けてもすぐそこに地面がある。

広い土地だと草刈りに追われて疲労困憊するけれど、それでも草刈り後の綺麗になった地面を見て、

「やったなぁ!」

という達成感があるし、綺麗になったという清々しさも感じられる。

ま、ラクして乗用の草刈り機で、「バァ〜」っとやりたい気持ちは年々強くなってきているケド😅

都会の公園の地面は好き勝手には出来ないけれど、田舎の(自分のね)地面は好きなようにできる。

多少散らかってはいても気にならない(私だけか😅)

勝手に生えてきた木々に剪定バサミを入れて好き勝手に樹形を楽しんでいる。

野うさぎとご対面できる。可愛い💕

無心になれる

広い青空の下、雑草抜きをしていると時間が経つことを忘れている。

薪割りをしていると、どうやったらうまく割れるかばっかり考えている。

割った薪から、焚き付け用の木っ端を作っている時ただそれを作ることだけを考えている。

「こんな生活をいつまでできるのか、」

なんていう心配事もどこかに吹き飛んでしまって目の前のことだけに集中している。

そして、

「できる時までやるさ」

と気持ちが解放される。コレは気持ちいい。

物欲がなくなる

広い空、長閑に広がる里山、綺麗な麦秋、青々と一面を覆う稲田、福寿草、ねじり花、色とりどりの草木の花、満点の星空、鳥の声しか聞こえない日々。

いつの間にかものに対する渇望感が消え失せていた。今あるもので十分。壊れたり破れたりしたら、補充すればいい。

生活感が変わるので、都会で使っていたものは、まぁ使わなくなる!実用的なものがそれにとって変わる。「ブランド」という付加価値は意味をなさなくなるのでいらない。

「コレは果たして今の自分にとって必須のものなのか?」

いつも思い浮かぶのはこの問い。で、結果ほとんど「No」

旨い!

山の水で育てたお米がこんなに旨いとは思ってもみなかった!

農家の方からいただいたはさ掛けして収穫したお米。もう絶品でした。

田んぼの水は農業用水ではなく山から滲み出てくる水。

お米の味って表現しづらいけれど、コレは本当に美味かった。

そういう本物の味を知っていらっしゃるせいか、スーパーの食料品もおしなべて都会より旨い!

鯉の旨煮がふつーに売られているんですよ!

まぁ、海山川が近いせいもあるかもしれないが新鮮で本物の味がする。一般の商店も本物の味がする。商店街が衰退する中、生き残っているのだから不味いはずはない。牛タンの霜降りなるものがありました。全然知りませんでした。旨かったなぁ

その地域で消費される小さな味噌蔵。いい味なんだなぁ。そこで作った甘酒がアルコール0度で麹の甘さでなんともほっこりできる。腹持ちも良い。

良いことばかりじゃないけれど

日常の生活には車が必須。

 →年取って運転できなくなったらどーすんだ!日々の買い物にも苦労するぞ!

歩いて行ける場所にお医者さんがいない。

 →熱が出てフラフラなのに車運転できるのか!

言い出したらキリがないほど、不安要素はいいっぱいある!

でも、今その状態に陥っていないならば、取り越し苦労せず、楽しめることをやろうと思う。

できない事が増えてきたら、都会に戻るのもOKだと思う。買い物、医者が徒歩圏内ね。

自分の生活スタイルに合わせて住む場所を変えてみる。テレワークも浸透してきたしそのような生活形態の垣根もだいぶ低くなってきているんじゃないかなと思う。


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