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【ネタバレ有】「猿楽町で会いましょう」がドしんどい作品だった理由を一生懸命考えた。

まず私は・・・

・映画「猿楽町で会いましょう」を劇場で2回観賞済み。
・同作のパンフレットを購入。
・同作出演者では特に石川瑠華(『イソップの思うツボ』いいですよね)、小西桜子のファン(『初恋』最高ッス)。

って感じのイチ男性です。「猿楽町で会いましょう」は第32回東京国際映画祭への出品時から注目していて、その時は観賞を逃してしまったのですがそれから約二年、ようやく見ることができて感無量でございました。
 やはり語るべきはヒロイン・ユカを務めた石川瑠華! この作品は彼女の女優人生にとって超重要な作品であることは間違いないと確信。そのヒロインと深く関わる男・小山田を演じた金子大地もノッてるな流石だなと思ったものでした。
 公開初週の1回目の観賞終了後、「すごい映画を見た!」「見れてよかった!」と大満足で渋谷PARCO8階にあるホワイトシネクイントからエスカレーターで7階に降り、『博多天ぷら たかお』で食事をし(映画の半券を見せれば天ぷら一品サービス!)、劇中でユカと小山田の2人が歩いた渋谷の街を歩きました。そして、映画について反芻し、こう思ったのです。

「本当に、しんどい内容だったな」と。

 その後、SNSを中心に感想を漁るとやはり「辛い」「しんどい」「(ヒロインへの)搾取が見られた」などなど、自分が感じたのと同じベクトルのものや、作品を評価しつつその内容のエグい部分について触れるものが多々見つかりました。
 だよねだよねと思いながら数日後に2回目の観賞を終え「じゃあ、何がしんどいのか」と自分なりに考えて、まとめてみよう思い今回の記事を書くに至ったわけです。当然ながら内容についてはめちゃくちゃネタバレ含めて書きますので、もし読んでみようという方がいれば、これまた当然ながら同作を観賞済みでないとダメであります。

 そして、まとめ方についてはやはり、この作品から感じる『しんどさ』の発生源……ヒロイン・ユカを軸にいきたいと思います。ユカというキャラクターは「”(小山田との)カップルの片割れ”として」「”夢追い上京娘”として」「”嘘つき女”として」という3つの側面を持っているなと勝手に見出し、それぞれの側面で見られた『しんどさ』を語ろうかと。
 まあ、3つに分けたとはいえ、それぞれの側面が絡み合うわけではあるんですが……ともかく、参ります。

”カップルの片割れ”としての、しんどさ

 駆け出しで、まだ自分が本当に撮りたいものを撮れていない若手フォトグラファーである小山田、これからもっと売れたいと考えている読者モデルのユカ……2人はひょんなことから撮影者と被写体という関係になり、東京の街で恋人同士のような関係になります。これだけなら、キラッキラした映画っぽいですよね。というか、そういう関係になってからの2人の楽しそうな日々のダイジェスト的なものが流れるシーンは、映画序盤のひとつの見せ場だったのでは?
 しかし、そんなカップルの仲は、ダメになっていくわけです。

 それぞれ夢を追っているカップルが出てくる作品というのは、夢と現実の狭間でカップルの片方が折れてそこから仲が険悪になったり、すれ違いが起きて仲が険悪になったり、片方は夢に向かって突き進む中でもう片方が置いてけぼりを感じて仲が険悪になったり、浮気的なことが起きて仲が険悪になったり、ともかく何らかのイベントが起き2人の仲が険悪になるものです。

 小山田とユカというカップルについては……まあ、色んな問題だらけではあったんですが、決定的だったのは「小山田が先に売れてユカが置いてけぼりになったこと」でしょう。
 小山田はユカに出会い、ユカの写真を撮ってからフォトグラファーの仕事に勢いがついてきました。男視点からすれば、運命の女性・ミューズに出会えたというところでしょうね。
 が、そんなユカも同様に、別の分野で夢を追う者でした。同棲状態で、小山田が忙しくなり自分に仕事がなければ一人で部屋にいる時間も増えるでしょう。  
 置いてけぼり感は、彼女の心の中で膨らむばかりです。
 また、出会った頃はあんなに夢中でユカのことを撮りまくっていった小山田ですが、仕事が順調になるにつれて彼女にファインダーを向けることはなくなっていきます。当然、ファインダーを向ける回数・時間が減っているということは、肉眼でもユカを見ている回数・時間は減っていくわけですね。

 このビフォー・アフターで象徴的というか直接的だったのが「仕事より彼女(=ユカ)を優先できるか」という小山田へのクエスチョンが、彼が売れる前・後でそれぞれやってきたことです。わかりやすいですね。
 売れる前は……ユカを優先しました。雨の降る夜……代打とはいえ急遽仕事のオファーが来たのと同じタイミングで、ユカが小山田の部屋を訪ねてきました。小山田は仕事の打ち合わせにこれから出なきゃいけなかったけど、ユカと一緒にいることを選択し2人は初めて身体を重ねたわけです。
 売れた後は……仕事を優先したんですよね。次の仕事の打ち合わせ中にかかってきた「一緒にいたい」「会いたい」というユカからの電話を「仕事だから」でつっぱねました。いやあ、わかりやすいですね。

 結局ユカは、小山田が仕事で部屋を空けている間に、前に関係があった男を(小山田と同棲中の)部屋に呼び出し、小山田目線からすれば決定的な浮気といえる行為に及びます。ヤっちゃいましたよね。
 それがバレたことで喧嘩になり2人の同棲生活は終了。ユカが部屋を飛び出し、小山田はそれからその部屋を引っ越し、猿楽町を離れるところで映画は終わります。

 ユカが浮気をしたのがこのカップルの終わりと一瞬思ってしまうんですが、このカップルについては「夢追う2人のうち、片方が夢に向かってステップアップしたが、もう片方は停滞したままだった」という問題が先にあったと思います。たぶん、小山田がユカより仕事を優先した段階で、終わりが見えていたんじゃないかと。
 小山田が「この仕事を機にフォトグラファーとして更に名を上げるだろう」ってなった物語終盤時点で、これからもっと売れたいと考えている読者モデルだったユカのその道での仕事は、ほとんど前に進んでいませんでした。

 映画のラスト、小山田がユカと同棲をしていた猿楽町のアパートから引っ越すシーン……私は「おそらく小山田はここからもう少し家賃の高い所に引っ越すんだろうし、仕事はこれからも順調だろうな」って想像をしました。今思い出すと、小山田の引っ越しの日は大変に快晴で、彼のこれからも明るいんだろうなと思えるくらい画面が光っていたような気がします。
 一方、浮気がバレて喧嘩の果てに小山田の部屋から飛び出したユカは、その後の描写無し……私は「おそらくユカはこれから日の目を見る場所では……難しいだろうな」って想像をしました。

 映画の最後で別れた「夢追う2人」だったカップル。小山田の目線でなら、猿楽町で育んだ一時の関係を「まだ駆け出しの頃、こんなことがあったな」と甘酸っぱいとかほろ苦いとか、後で思い出として噛み締めることができるでしょう。が、ユカの目線では……とてもじゃないけれど後になって猿楽町での時間を思い出してどうこうとか、無理ですよ。というか、彼女の未来が想像ができません

 若者の青春の一区切り・一つの恋愛の終わりという作品ラストの展開で、片割れ(=ユカ)のこれからについてとても明るいものを想像できなかったというのが、「”カップルの片割れ”としての、しんどさ」です。

”夢追い上京娘”としての、しんどさ

 前の項目でも触れましたが、ユカは芸能系の仕事で一花咲かせたいと思い上京をしてきた、夢追い人だったわけであります。で、劇中ではそれがほとんど良い方向に行かず、彼女がその後どうなったかわからずに終わります。これだけ書いてても、そりゃしんどいよねって話なんですが、夢を追い上京してきた一人の若い女性として、どのようなしんどいことがあったのかを羅列すると……しんどさのスパイラルが出来上がってきました。キツいです。

・居場所がない → 成り行きで転がり込んだ男の部屋が東京での住居。男との関係が壊れたら出ていくしかなくなる。
・お金がない。 → 芸能系の仕事をするため、スクールに通うが当然お金がかかる。バイトをするしかない。  
・売れない。 → 周囲に先を越され、心が荒む。

 簡単に言うと上記の三つの要素が絡み合うというか、これらがひたすらにユカを襲い続けます。お金のため、スクールで知り合った友人(小西桜子が演じる久子)の紹介でメンズエステでバイトをするに至ったことなど、しんどいこととして非常にわかりやすいでしょう。
 メンズエステでのバイトは、大きなポイントとなります。「地方からやってきた女の子が目的の途中でこういう店で働かざるを得なくなる」というのもシンプルにしんどい構図ではあります。そして、ここの客としてやってきた前野健太演じる「業界人っぽい」おっさん編集長と「メンズエステでは禁止の行為」「店外で関係を持つ」という取引を経て、ユカは「読者モデル」の肩書を得た……という、あまりにもストレートな搾取の構図がありました。しかも、読者モデルになれたからといってそっからユカが売れたというような描写がなかったことも忘れてはいけません。いいように、喰われちゃったわけですね。
 さらに、ユカをメンズエステで働かないかと誘った久子は、やがてメンズエステでのバイトをやめ、芸能界で売れ始めてしまいます。この久子との関係はもうしんどく感じるのを通り越して、笑いたくなるくらいでしたよ。
 だって、いくらなんでも「ユカにようやく芸能界での仕事らしきものが回ってきたかと思ったら、久子のスタンドイン。しかも、その後久子は小山田のデカい撮影の仕事で、被写体を務める」ですよ。たぶん、1回目の観賞時に自分しかその回を見ていなかったら、「えぇーー!?」と声を上げていたと思います。徹底的にユカを売れない夢追い人にしたいのかと、監督にやりすぎだ!と念波を送りたくなりました。

 また、メンズエステとは別のバイト先の服屋も、とんでもないしんどさを感じさせる場所でした。服屋の店長とシフトのことで揉め、「自分にはやりたいことがある」とはっきり言ったユカでしたが、ここで店長は彼女に対し「ダメなヤツ」という烙印を押していたと思います。バイトの同僚の(たぶん)同年代の男は、一見ユカが夢を追っていることを理解しているようで非常にグロテスクなつながりを求めるヤツでした。

 夢追い人で芽が出ない部分だけじゃなく、「居場所がない」というのも立派なしんどさの一つです。関係が良かった頃の小山田と彼の部屋がどうにかユカの居場所・心の拠り所になっていました。しかし、彼女自身の振る舞いがあったとはいえ早々に小山田の方がユカについて疑念を抱いていた事から、その居場所・心の拠り所は薄氷の上にあったと言えるでしょう。

 そして、忘れてはいけません。ユカが上京して最初に転がり込んだ部屋の主……栁俊太郎演じる北村良平との関係も、2回目の観賞時にはとてつもない薄っぺらさ・空虚さのようなものを覚えました。夜行バスで上京してきたばかりのユカが出会った北村は、都会的な雰囲気を持つオシャレさん(Tシャツスタイルの小山田とハッキリと違いますね)で、初体面の女の子に何となく良い感じの言葉を言い放つ、ルックスもかなりいい男。雑誌にも載る気鋭のインテリアデザイナーってのも、非常にわかりやすいですよね。都会的な強者男性ってやつです。
 彼とユカが同居を解消する時に、ユカに対し恋人だと思ったことなどない、お前が勝手に転がりこんできただけ……みたいことを言ったのは、上京してきた若い女の子に対し(女の子本人の計画性の無さに思う所はありつつも)大変にキツいものがあったでしょう。ここら辺の栁俊太郎の演技が素晴らしく、どんだけ上京娘を下に見て話しているんだろう……と、絶妙にイヤ~な気持ちになれました。

 ユカという芸能の仕事で一花咲かせたい上京娘が、東京という街で居場所を作れず周りに出し抜かれ使い捨てられ傷付けられる……そんなことが延々と続くということが、「”夢追い上京娘”としての、しんどさ」です。

”嘘つき女”としての、しんどさ

猿楽町で会いましょう【第2回「未完成映画予告編大賞 MI-CAN」グランプリ作品 / 監督:児山隆】

「お前嘘ばっかじゃねえかよ!」という男の叫び。
「彼女はなぜ、嘘をついたのか?」というテロップ。
 「この女、何者なんだ?」と見た人に思わせるラスト。
 そんな予告編が本編より先に生まれた作品が『猿楽町で会いましょう』であります。その後正式に作られた本編の中でも、ユカは嘘をつき、自分を偽りながら東京で生きていくわけになります。実際見ていても、ある男と話す時に別の男から聞いたことをさも自分の言葉のように言うところなんかが象徴的であるんですが、ユカの本性が見えにくいような感じを受けますよね。
  作中の男たちの中で一番ユカに入れ込んでいる小山田の視点から見れば、ユカは捉えどころのない、有り体に言えば”魔性の女”だな……と。
 実際、ユカのそういった所に小山田は惹かれ、そこを上手く切り取った=彼女の魅力を引き出した写真を撮れたことでフォトグラファーとして軌道に乗るきっかけを得たわけです。しかし、他の男の存在を感じさせユカの事を信じられない部分が出てきて、彼女に翻弄されてしまうような事態に陥ってしまいます。(ただしここら辺は、小山田のダメな部分も多々あって、一概にユカの言動が原因とは言えない点は注意です)
 この説明だけなら、嘘で男を翻弄する魔性の女という印象を受けるでしょう。が、彼女の小山田以外の人間との関係や東京でどうなっているかを見た時、「いやいやいや・・・!彼女、そんな存在じゃないぞ!」とハッとなるわけです。ユカって、嘘で相手を翻弄どころか、嘘で自分を塗り固めてるけどひたすらにボロボロになっているだけなんです。

 先の二つの項目で散々述べてきましたが、ユカは芸能界で売れているわけでなく、東京という街で何者かになれているわけでないのです。なんというか、空っぽなんですよね。
 作中で彼女が小山田以外の相手に得意気になれていたのが、小山田の言葉を借りておっさん編集長に上手い焼き肉屋がどうこうと話すシーン(相手の男も「すごいねえ~」みたいな反応してましたが、まともに聞いてるわけないですよ絶対)、服屋のバイトの同僚に自分の彼氏(男はユカを彼女と思っていないと後に吐き捨てる)は気鋭のインテリアデザイナーだとスマホで彼のことが載っているページを見せながら話すシーン、くらいです。
 そこに、ユカ自身の確固たるものはなかったんですよ。

 これも先の項目で散々述べましたが、ユカから搾取したりユカのことを下に見た者達は作中のほとんどの人物でした。そいつらに対し、ユカが嘘でダメージを与えたというか、反撃をし見返したというシーンが全く描かれていなかったわけです。

 仕事を与えた見返りにユカの身体を求めた編集長は、破滅しましたか?
 ユカを最終的に認めましたか? いいえ、そんなことありませんでした。
 引き続き編集長として普通に仕事は続け、ユカに何か大きな仕事を与えたというようなこともなかったです。女を喰い物にした男が何か罰を受けるという描写は少なくとも作中では一切描かれなかったわけですね。(罰を与える描写があればいいのか?ってのは、またちょっと別の話)

 ユカとユカを出し抜いた久子との芸能界の立ち位置は、どうなりましたか?逆転劇はありましたか? いいえ、そんなことはありませんでした。
 久子の芸能界での仕事は順風満帆です。先の項目でも取り上げた、久子の撮影の仕事のスタンドインにユカが使われるという、とんでもなくわかりやすい2人の格差が描かれもしました。さらにユカは、久子がメンズエステで働いていたこと&そこで禁止行為を客としていたことを第三者を装いネットに書き込もうとしたり(最終的に投稿したかは不明)、久子が当時使っていた源氏名でメンズエステで働き続けていたり、「上り続ける勝者と燻り腐る敗者」のようなものが出来上がっていました。そして久子は、ユカのネット上での行動を見透かし、ユカと現場で再会した時にコーヒーをかけ「売れてきている私の邪魔をするな」と吐き捨てます。さらに追い打ちに、作品終盤に入った撮影の仕事でカメラマンに小山田を指名し小山田本人に「あなたと仕事したかった」と言い、ユカ不在の現場で勝利宣言的な事をかまします。

 ユカと東京に来てから最初に出会い、ユカを捨てた北村良平は彼女のことが忘れられませんでしたか? いいえ、そんなことはありませんでした。
 北村がユカを部屋から追い出す時に本命の女性ができたと言いましたね。その後ユカと連絡を取っており、ユカは「私の気持ちはあなた(北村)にある」と述べてましたが、北村のスタンスは「会ってもいいけど今自分には彼女いるからね」というものです。もう、書いていてイヤになってきますが「お前はどこまでいってもセフレね」と同義の態度なわけです。実際、ユカに(小山田の)部屋に呼ばれセックスだけして帰って行ったシーンが描かれましたよね……
 <<あのシーン、北村はアパートから出てタクシーに乗って帰ってましたが、ユカは見送らず部屋の布団の中ではだけた状態でしたよね。あれ、北村は絶対に事が済んだらろくに会話もせず、さっさと出てったと自分は思ってます。間違いない>>
 つまりは、北村はユカに翻弄なんて毛ほどもされておらず、単なる都合の良い女扱いということです。気鋭の若手インテリアデザイナーが本命の彼女をキープしつつ読者モデルをセフレにしている構図……書いてるだけでしんどいです。

 そして、もう語るまでもないですが、「私はやりたいことがある」と宣言していたユカのバイト先……服屋の店長と同僚に「売れた自分を見せる=見返す」ということもなりませんでした。店長からは売れてないくせに見栄を張っていると見透かされ陰口を叩かれましたが、そのままでした。同僚の男のことをユカは作中で唯一明確に見下していましたが「メンズエステに客としてやって来た彼を拒絶し、最終的に激昂され金を叩きつけられ強姦されかける」という尊厳を徹底的に傷付けられることとなりました。

 『猿楽町で会いましょう』のヒロイン・ユカは、嘘つきです。ですが、嘘をつき、様々な仮面を被り多くの登場人物を惑わす魔性のヒロインではありません。成功を掴み取るため、何者かになるため、様々な場所で自分を偽り続け、もがいてボロボロになった弱い女の子なのです。嘘は彼女にとって武器ではありましたが、それで勝利を得られたかといえば、NOなのです。
 これが、「”嘘つき女”としての、しんどさ」です。

ユカは何者なのかという話と、自分の中の気付き

 このように、上京してきた噓つきヒロインが一から十までしんどい目に遭いまくる……と羅列してきたわけですが、次に考えたいのが塗り固めた嘘を剝ぎ取ったユカは、何者なのか?という話です。これについて観賞した人がそれぞれ自由に解釈するのが、この作品の観賞後のひとつの醍醐味ではあると思います。そして私は、ユカは何者かになりたいと憧れる、まだ何者でもない少女。と解釈しました。
 ユカは芸能の仕事に憧れて上京をしたわけですが、なんといいますか、お芝居が好きとか写真を撮られるのが好きとか何かを表現するのが好きとかそういうのを彼女から感じられなかったんですね。そんな中で、物語終盤にインタビュー形式のオーディションを受けたユカの回答が、私の中では答え合わせになった気がしました。
 芸能の仕事を目指したきっかけが「小さい頃、学校の出し物でキラキラ輝いてる他の子を見て」ってので、自分がどういう人間かについてという質問には、言い淀む……
 このことから、ユカは自分自身の姿を掴めていなくて、そんな自分が嫌い。芸能の仕事で認められることでその他者から認められた像を『自分の姿』としたい。そう、思いました。
 
 そんな一人の女の子がボロボロになったこのお話と向き合ったイチ観賞者の私は何を思ったか? それについては、ユカを傷付けた社会(つまりは今の日本)がどうなのかとか、ユカに更に寄り添った思い※1 をこのnoteや他の場所に投じてみようかとか、それはもう色々と頭をめぐりました。じゃなきゃこんな文章をアップしてません。
 そして、スクリーンの中の傷付いた女の子を見て咀嚼している自分を客観的に見てもう少しどうにかならないのかと省みたり、その女の子と関わった男性キャラ達を論じる中で自分で自分にゾッとするものを感じたりと、ちょっと気落ちしたけど、気付くことがありました。

 『猿楽町で会いましょう』という作品、改めてすごいです。しんどい目に遭い続けるヒロインとそれを取り巻く諸々と向き合うことで、自分というものが見えてきますよ。

 とりあえず私は、もう一回くらい観賞して、ユカが何者だったのかを改めて考えてみようと思います。それと同じタイミングで、何か自分の中のイヤなものが新たに浮かび上がるかもしれません。

※1:『猿楽町で会いましょう』のパンフレットにて、狗飼恭子がユカに寄り添った文章を寄稿しています。本当に素晴らしくて震えました。小山田のその後についてはだいぶ解釈が違いますが。

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