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善いことは楽な結果に

昨日の答え合わせが、今日
今日の答え合わせは、明日

私の、因果業報の理解です。

因果応報、普段こちらがよく聞く言葉
 因果=原因と結果、
 応報=応じた報い
私は業報の方が分かりやすいので
因果業報を普段使いしています。
業は行い・行為行動の意味です。
原因となる行いをして、結果の善し悪しがでます。
 善因楽果
 悪因苦果
の一次関数です。

前日に明日のことを想定して、事前に用意をする。
前もって用意をしたら、将来ゆとりが出来て、
物事が少しスムーズです。

生活していると、こんな場面が良く起こります。
前の晩に、目覚ましを、掛け忘れた。

寝坊をし、遅刻して、怒られた。

結果は、寝坊?遅刻?怒られる?
それとも
恥をかく?凹む?

では、因は何でしょう?
目覚ましの掛け忘れ、それだけでしょうか。
遅くまで起きていた?
そもそも、行きたくない?

昨日の答えが今日
今日の答えが明日
単純ではなさそうです。

お釈迦さまは、結果(果)を認識して、
それから因を探すんじゃないかな?とおっしゃっています。
因と果は、単純に理解しそうですが、
因と果の関係性は、解らないのです。

その間に縁が入り込みます。
日常生活、他の条件があるからです。

目覚ましを掛け忘れたけれど・・
自然と目覚めた。
今日は遅れられないからと、
早朝に先輩がメールをくれた。
たまたま、窓の外の車の音、
目が覚める。

目覚ましを掛け忘れる理由・・
夕方から友人のお祝いに出かけて、
はっちゃけた。
ゆっくり長湯して、
疲れた。

色んな条件の変化、あり得ます。

お釈迦さまは結果だけに注目して、
次の行動を起こしましょうって。
なぜなら、因は分からないから。
分からないことは、あえて探さないでって。

結果から原因を無理に関連付けると、
終わったことが、スタートになりかねません。
寝坊した結果は、
「何で起こしてくれなかった(因)?」
と言っても始まらない。

それでも考えるのが人。
関連付けて再発を防ぎたいのですから。
けれど、答えは出ません。
1つの答えに合点がいっても、時間が経つと別の答えが出て来ます。

でも、関連付けたいのだから、
せっかく関連付けるなら、楽に成った行動を。
私が楽だと感じた結果から想像力を働かせる。
あれ、したから?こんなことを、したから?
善いことを、積極的に収集。
善因楽果です。

忘れてはいけない、もう一つの行動。
悪いことは、極力遠ざける。

起きてしまったことを考えるのが人のココロ。
ああしておけば。
こうしておけば。
そう言うのを、あえて無視する。


雲は流れてゆきます

ココロは時間の経過で、動くもの。
天気と一緒です。


時には凹んで、つまづいて。それでも、苦にせず歩いています。 < 自分らしく > そんな動きしかできませんが、ご一緒に楽しんで頂けると嬉しいです。