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『災厄令嬢の不条理な事情』発売記念SS

2021年8月20日、『災厄令嬢の不条理な事情 婚約者に私以外のお相手がいると聞いてしまったのですが!』が発売されました!


【あらすじ】

――王太子殿下は、とある男爵令嬢にご執心。
 自身との婚約を公表するという王太子からの手紙が届いた聖爵家令嬢マリオンは、同時にそんな不穏な噂を耳に!
そこで彼女は、真相を究明すべく、王太子に不満たらたらな美貌の従者リヒトと共に旅立った。遥かな王都へ二人だけで……。
仕方ないじゃない、我が家はド貧乏なのよ!
しかも、馬の暴走で徒歩になるし、道中では賊に襲われ、災難続き……。
でも、襲い来る不運を撃退して目的を達成してみせるんだから!
災難に愛されすぎている令嬢の前途多難なラブファンタジー。
(一迅社文庫アイリス様公式HPより抜粋)


【発売記念SS:赤い果実の名前】

発売を記念して、本編前日譚にあたるSSを公開させていただきます。
主人公マリオンに仕える使用人にして本作ヒーロー、リヒト視点の物語です。
楽しんでいただけましたら幸いにございます。

***

「きゃあああああっ!!」

 今日も今日とて、ストレリチアス邸には災厄令嬢の悲鳴がこだまする。
 珍しくも中庭の畑に自発的に水をやっていたリヒトは、ひとつ溜息を吐き出した。彼女のことだから心配は無用だろうとは解ってはいるが、放っておく訳にもいくまい。持っていたじょうろを放り出し、悲鳴の出どころへと向かった。

「おひぃさま、今日はまた一体何を……」
「こないで!!」

 悲鳴の出どころ。それは今更言うまでもなく、このストレリチアス家の令嬢たるマリオン・ストレリチアスの自室であった。ノックもなしにバタンと遠慮も何もなくリヒトがドアを開けて話しかけるなり、こちらに背を向けてドレッサーの鏡を覗き込んでいたマリオンは、悲鳴まじりに叫んだ。
 おや、とリヒトは思わず眉をひそめる。なんだかんだで、いつだって〝寛容〟にもリヒトのことを尊重してくれるマリオンが、こんな風にのっけからこちらのことを拒絶するなどそうそうあったことではない。これは一体何事だ。

「おひぃさま」
「だめ! こないでったら!」

 生憎、こんな風に来るなと言われて大人しく引き下がるようなかわいらしい性格を自分はしていない。両手ですっかり顔を覆って俯くマリオンの元に、問答無用で歩み寄る。

「おひぃさま、ほら、あなたのリヒトです。どうなされましたか?」

 我ながら、かつての自分を知る者が聞けばさぞかし驚くに違いない、穏やかな甘い声だった。ご近所の皆様方からもいたくご好評をいただいている声である。
 しかしその声を最も捧げたい相手ときたら、リヒトのひそやかな想いになどちっとも気付かないで、ますます深く俯いてしまうのだ。

「おひぃさま」
「……笑わない?」
「僕がおひぃさまのことを? それこそまさかでしょう」

 努めて優しくそう続けてみせると、ようやくマリオンは観念したのか、両手を膝の上に下ろし、そおっとその顔を持ち上げる。涙で潤む銀灰色の瞳が、やっとリヒトの顔を写した。

「…………これは、また」
「やっぱり笑ったじゃない!」
「笑っていませんよ」
「嘘! その顔、鏡でご覧なさいな!」

 涙混じりに叫びながら、ぽかぽかとこちらの胸を叩いてくるマリオンに、流石のリヒトはこれ以上なんと言葉をかけたらいいのか解らなかった。
 マリオンの珍しい鈍色の髪、その額を覆う前髪が、なんとも無惨に、見事なまでの斜めに切り落とされていたからだ。

「またどうしてこんなことに?」
「……もうすぐ、私の成人の誕生日でしょう? 叔父様がお祝いしてくださるって仰っていたから、さっかくならお母様のドレスを着ようと思って。だから大人っぽく、せめて前髪くらい自分で整えようとしたの。そうしたら、急に窓に小鳥さんがぶつかってきて……」
「なるほど。それで驚いてばっさりと?」

 リヒトの問いかけに、マリオンはこっくりと深く頷いた。
 ああそういえば、先程の畑の水やりの際に、中庭に面したマリオンの部屋に向かって飛んでいく小鳥を確かに見たような。もしやアレか。どれだけ運が悪いのか。
 流石『災厄令嬢』……と黙りこくるリヒトをどう思ったのか、マリオンは何故か慌てて「小鳥さんはちゃんと無事に飛び去っていったわよ?」なんて続けてくれる。問題はそこではないはずだと思う自分は間違っているだろうかとリヒトはしばし悩んだ。そして結論。

「おひぃさま、はさみをお貸し願えますか」
「え?」
「どのみちそのままではいられないでしょう。ほら、お借りしますね。動かないでください。目を閉じて」
「え、あ、ええ」

 ドレッサーの上に投げ出されていたはさみを奪い、マリオンの正面に向き直る。戸惑いながらも大人しく目を閉じるマリオンの前髪に、リヒトはそっとはさみを入れた。
 しゃきん、しゃきんと、単調な音が響き渡る。目を閉じているマリオンの顔を、はさみを動かしながら、リヒトはまじまじと見つめた。
 さして美しいわけでもかわいらしいわけでもない顔立ちだ。一般的、十人並み程度である。ただその鈍色の髪と銀灰色の瞳が珍しいばかりで、他に目立つ特徴はない。
 けれど、この普通――とはいささか言い難い運命に生まれついた少女を、リヒトはずっと見つめてきた。我ながらどうかしていると思いながら、ずっと。
 とうとう我慢できなくなってこの屋敷の使用人となったのが約四年前のこと。幼かった少女は、もうすぐようやく、成人を迎える。幼さを帯びたこの唇は、いずれ艶めく紅に彩られるのだ。
 まだ熟す前のその唇を、今この場で奪ってやったら。そうしたらこの少女は、どんな顔をするのだろう? それは、とても魅力的な自問だった。
「リヒト? もういいかしら?」

 はさみが動かなくなったにも関わらず何も言わないこちらに焦れたらしいマリオンに呼びかけられ、リヒトは気付かれない程度の大きさで息を呑んだ。そして「はい」と短く答えてはさみを下ろすと、マリオンのまぶたが持ち上げられる。
 かつてリヒトの心を奪い、そのままちっとも返してくれやしない銀灰色の瞳があらわになった。その瞳が、ドレッサーの中の彼女自身の姿を捕らえ、それまで涙ぐんでいた瞳に、喜びがにじむ。

「わあ……! すごい、すごいわリヒト!」
「……短めではありますが、上出来でしょう?」
「ええ!」

 ありがとう、と、綺麗に切り揃えられた前髪を撫で付けながら心底嬉しそうに笑うマリオンの、その笑顔に、結局リヒトはどうやったって何をしたって敵わない。
 だからこそ、彼女が本当に成人したら――〝大人〟になったら、その時こそ。
 そう密かに誓うリヒトの、深い微笑みの意味を、マリオンはまだ、何一つ知りやしないのだ。


(――そして本編へと続きます。)


【書籍情報】

タイトル:災厄令嬢の不条理な事情 婚約者に私以外のお相手がいると聞いてしまったのですが!
作者:中村朱里
イラスト:鳥飼やすゆき先生
レーベル:一迅社文庫アイリス
出版社:一迅社
発売日:2021/8/20
ISBN:9784758093897
文庫判 定価:730円(税込)

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鳥飼やすゆき先生による発売記念イラストです。
本編では更に素敵なピンナップや挿絵の数々をご覧いただけますのでぜひに。

『災厄令嬢の不条理な事情 婚約者に私以外のお相手がいると聞いてしまったのですが!』

よろしくお願いいたします!


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