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ティファニーで朝食を

初めてカポーティを読んだのは去年で、その時選んだのは「遠い声、遠い部屋」だった。気になる作家を見つけたらデビュー作から読んでみたいということで、それを選んだ。今では内容1つ覚えていない。話は暗く、単語選びは複雑で、ページ数以上に長く感じるというのがカポーティに対する印象となった。


しかし「ティファニーで朝食を」を読んでこう思った。「『遠い声』と同じ作者とは思えないくらい綺麗にまとまっている」。前回「グッバイ・コロンバス」は面白かった。しかしそれはフィリップ・ロスという作家への個人的な好感度からきた部分が多い。内容はまとまっているとは言えず、その未完成さに惹かれたのだ。他方、この「ティファニー」は、あとがきでもあったように、訂正する部分が0と言っていい小説だった。


一番は文体である。作者がこっちの欲を満たしてくれるような構成をしているのだ。次に比喩があったら面白いなあというところに比喩があり、長めの会話文が欲しいなあというところに長めの会話文がくる。とてもリズムがいい。いつまでも目で追っていたいような文章なのだ。

次に話の内容。ホリーという女性が生き生きとしている。主人公である「僕」の不安定さも良い。
最後のホリーの旅立ちと、近況報告の手紙も良い。ここの場面のおかげで、数ある都会小説へのダメ出しに成功している気がする。ダラダラと終わりがちなこういう話を綺麗にまとめているのだ。


特にジョー・ベルが別れ際に花束を渡すシーン、ホリーが猫を車から放すシーンは感動する。本を読んでいてこんなに寂しくなることもそうそうない。

今回は不思議な読後となった。とても面白い小説だったが、心のどこかではカポーティが気に入らないという一面もある。可愛げがないのだ。しかしこれでカポーティの小説をもう一度読んでみたいという気持ちになった。本を1冊読み終えた時点で次に読みたい本がある時、気分はなかなか良いものである。

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