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安岡章太郎「悪い仲間」

ある時ふと日本の作家で、古くて、巧い小説が読みたいなあと思うことある。外国語の和訳じゃ見られない、柔軟な文体に浸かりたいと思う時が定期的にある。そこでいつも思いつくのがこの「安岡章太郎」だ。

安岡章太郎を知ったのは多分「芥川賞の全て」というホームページ。僕はここで良い感じのタイトルを見つけては選評を読むのが趣味だ。安岡章太郎のデビュー作「ガラスの靴」もそこに載っていて、31歳と比較的デビューが早く、選評もかなり高評価だったので、記憶に残ったんだと思う。

2021年の秋にブルータスで村上春樹の特集号が出た。僕は当時東京の出版社でバイトしていて、毎月各出版社から雑誌の最新号が送られてくるのを楽しみにしていた。バイトはその中にある自社の新刊の選評なんかをハサミで切って保管するのだが、僕は率先してその「村上春樹特集」を確保したわけだ。こんな良いバイトはそうそうない。業務としては全く関係のない「村上春樹が選ぶ本50選」を、僕は一行も余すことなく読んだ。そこで安岡章太郎のことがベタ褒めされているのを見て、さらに印象に残ったんだと思う。

確かその後すぐに安岡章太郎の本を図書館で借りたのだが、なぜか中途半端なとこで読むのを辞めてしまった。その時はピンとこなかったんだろう。それからの1年で僕は結構多くの海外小説を読んだ。そして海外小説を読んでいると、どうしても休憩がてら生の日本語の小説を読みたくてしょうがない瞬間が訪れる。その度に僕は梅田の紀伊国屋に行って講談社文芸文庫の安岡章太郎に手をかけるのだが、結局買わない。だって高いから。この文芸文庫はシャレにならないくらい高いんだから。

で、今回もやはり図書館で借りた。文庫がなかったので「安岡章太郎集」を借りた。モチベーションはぼちぼちと言ったところだった。以前に途中で読むのを辞めたということは、今回もどハマりすることはないだろうという思いがあった。

......が、僕は今結構感動している。こうして記事を書いている今、「悪い仲間」を読み終えてすぐだ。余熱があるうちに書き始めたため、ここまで前置きが長くなってしまった。
「悪い仲間」を読んでいて次のように思った。

この人は文章が巧い。しかしキザというわけじゃない。読者の考えていることが透けて見えているんじゃないか?隙のない人だ……だ。

庄司薫は安岡章太郎が好きだったんじゃないか?と予想する。「悪い仲間」を読んでいて、これ何かと似てるなあと思ったら庄司薫だった。あの「次に押してほしいツボを必ず押してくれる感」がそっくりなのだ。しかし庄司薫は性格がキザで文章がモッタリしているのに対し、安岡章太郎は器用な性格なのか、終始透き通った感じである。審査員ウケが抜群に良いタイプだ。

安岡章太郎が扱うテーマはとても日常的で、誰もが思いつくものだ。村上春樹が言う巧いというのもそこだろう。そう、まさにカーヴァー的で、控えめに見せかけて文章自体は鋭く1つ1つがベストの、抑えきれないセンス系の作家なのだ。

実は悪い仲間の前にデビュー作の「ガラスの靴」を読んだのだが、そっちもだいぶ良かったのに内容を覚えていない。悪い仲間が良すぎて、綺麗に上書きされてしまった。

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