いつか、あなたの助けになればいい
「むすこちゃん。そこはね、むすこちゃんの大事なところだから、他の人に見せちゃいけないし、触らせてもダメなのよ」
膝をかがめ、目線を合わせ、わざとらしくしかめっつらをして。
しかし怒ってない、とアピールするために高めで穏やかな声色。
そうしてゆっくりと、4歳の息子に話しかける。
それは、息子がパンツからちょっと飛び出たソレを、更に引き出そうとつまみ上げ、かつ「まま、みてみて!」と嬉しそうに声をかけたからだ。
このぐらいの年齢の男の子は、自分についているソイツが大好きだ。
何処に行っても触れて、めっちゃ伸びてぷらんぷらんし、しかもママには無いという部分がたまらなく面白い。
だから、「どや。ええもん持っとるやろ?」とばかりに見せてくる。
が、性器は性器。
笑って流してしまいたい所だが、きちんと自分の体のことを教えなければならない。
どうして外に出してはいけないのか。
あなたの体は、とても大切なものだということを。
そんな理由で、私はいつもより真面目な態度を取っていたわけだが…
「それでね、むすこちゃん」
「ちがうちん」
……ちん?
「ぼくはー、ちんあなごちん!」
え。別人格なの?
君にとってその部分って、別の生き物なの?
「久しぶりちんか?」
いや、久しぶりではない。決して久しぶりじゃない。
昨日も一昨日も、何なら朝一のトイレの時にも見たわ。
ていうかやめろ。
真剣な話をしてるのに笑っちゃうから。
仕方ないので、話を続けるために「ばいばいちーん!」と強引にパンツの中にそれをしまうと、それは布の中で「ちーん」と悲しげな声を上げる。
ちがう。話をしているのは息子だ。
子どものからだ
子どもの体は魅力的だ。
ムラムラっと来るという意味では決してない。
滑らかな肌に、小さなパーツ、押して跳ね返す弾力。
ミケランジェロの彫刻のように恭しくも可憐で、思わず手を伸ばしてしまいたくなる。
それどころか文字通り本当に食べてしまいたいくらい、愛らしくてかげかいのないものだ。
親にとって、子どもの体は、可愛らしく美しい愛だけで構成されていて、そこに不純な心が入り込む余地は一切無い。
それはミネラルウォーターは飲めます、とか火は熱いです、とか、赤信号は渡ってはいけません、と同じ世界線にあるような気がする。
子どもの体は魅力的だ。
決してムラムラっとは来ない。
けれど、世の中には性的な目で見る人は確かにいる。
それは、ある日突然あらわれる見知らぬ人だけでは無い。
よく行くスーパーの店員かもしれないし、近所の人かもしれないし、学校の先生かもしれない。
私の場合は、小学校の先生だった。
担任
6年生から担任になった男の先生は、他のクラスの先生より年上で、学年主任をしていた。
国語が面白かった。
最近子供が生まれたと言った。
男の子が三人続いていると笑った。
そしてある日突然、胸を揉んでくるようになった。
タッチなんてもんじゃない。
あるかないか分からないほどの大きさの胸をぐにぐにとあからさまに揉んでくるのだ。
ビックリした。
それはもう、本当にビックリした。
なんの冗談だ。こんなの悪ふざけで済まない。
「やめてください」
猛然と抗議した。
手も振り払えた気がする。多分。
しかし、先生は物ともせず、平然と言い放った。
「そんな胸無いようなものだから、別に触ってもいい」
たしかに、当時私の胸は膨らみもわずかで、スポーツブラで十分な大きさだったし、他の女の子たちの方が大人な体つきだった。
だからこそ、おっぱいの大きさで触っていいとかいけないとかあるの?と、それ以上何も言うことができなかった。
けれど、その行為自体はとても気持ち悪い。
背筋がざわっと凍り付く。
大きな手が、自分とは違う温度が、気持ち悪くて、怖くてたまらない。
なるべく近寄らないようにしていたのに、先生は毎日揉んできた。
他に生徒がいても揉んできた。
誰も何も言わなかった。
先生のすることだから、と普通に受け入れて、何事も無いように過ごしていた。
周りはみんな見知った顔なのに、知らない世界に行ってしまっていた。
私だけを残して。
***
どうしたらいいんだろう?
親に言うべきなんだろうか。
でも、なんかこんな事言うなんて恥ずかしい。
それに、なんて言えばいいの?
そんな風に言うに言えず、半年くらい経って、やっぱり状況は変わらなくて。
とうとう、ある日決心して母に言った。
兄弟も父も、周りに人がいないタイミングを狙って、今ここでしか言えない、と勇気を振り絞った。
「ねえ、お母さん。先生、胸を触ってくるんだよ」
それは、私にしてはとても勇気のある一言だった。
「揉んでくる」ではなく「触ってくる」、と柔らかい言い方をしてしまったのは、こんなことをされているのがとても恥ずかしかったからだ。
期待してた。
『そんな事するなんておかしいね』とか、
『先生が悪い』とか、
『やめるように言ってあげる』とか。
そんな言葉たちを期待して。
私だけがおかしいんじゃないんだって。
教室みんながおかしいんだって。
先生はおかしいって、母は言ってくれると思っていた。
でもお母さんは、少し笑って言ったのだ。
「そんなの気のせいよ。まだ胸なんてないのに。触られたってどうってことないじゃない」
それは、先生と同じ言葉だった。
母の言葉は、私の体を「子ども」とだけ見て、性的な目で見られることなんて決して無い、と考えたからこそだっただろうし、
先生は、私の体を「こども」と対外的にも見られることを知りながらも性的に見ていたのだろう。
おっぱいが大きく無くても、大人の体で無くても、性的な目で見る人は確実にいて、
こちらの知識不足につけ込んでくることを、肌身で実感したこの出来事は、何の進展も後退もなく、毎日毎日挨拶がわりに卒業するまで揉まれ続けた日々として記憶に残り、
「先生」という存在への不信感と、性的被害に関して相談することへのハードルの高さだけを心に根付かせただけで終わってしまった。
その後、私が卒業した後先生がどうなったかは知らない。
事件を起こした、という話は聞いていないので、相変わらずバレることなく続けているのかもしれないし、私限りで辞めたのかもしれない。
けれど、例えば、私が「自分の体はたとえ発達していなくとも、大切なもので、誰かに容易に触らせてはいけない」と考えてたら。
そういう知識があったならば。
私は毎日大人しくして無かっただろうし、母だけじゃなく、もっともっと色々な人に相談できた。
少なくとも、「自分の未発達の体のせいで毎日こんな思いをしてるんだ」と、自身の体つきを呪う小学校6年生の女生徒はいなかった。
今、願うこと
私の息子はいま4歳。
今保育園に行って、習い事を少しずつ始めて、これからどんどん私の目に届かない場所が増えていく。
だからこそ、彼には「自分の体はどんな形をしていても大切なもの」であると思ってほしいし、
自分の大切にしている部分は、他の子にとっても大切なのだと分かって欲しい。
そんな事、起こらないことが一番なのだが、
もし、被害にあってしまった時に、
私の言葉が、態度が、子どもを助けることになればいいと、そう願っている。
【9/26 追記】
もし、この記事を読んで「子どもへの性教育」にご興味を示されたら、下記の書籍をおススメします。
親世代の多くは、親から自分の体を大切にすることを教わってはきませんでした。ほんの些細な言葉で、態度で、子どもたちの未来が明るくなることを願っています。
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