葬別の年
ぽとりぽとりと、椿の花が落ちるように知っている人が次々と亡くなった。
夫の祖父、祖母、私の祖母に、お世話になっていた大先生。
どの人も90を越える高齢で、流行りの病ではなく寿命が尽きたとの診察だった。
そう至るまで、少しずつ、少しずつ弱っていく姿を目の当たりにして、「もう危ないから」「もうすぐかしら」なんてコソコソと噂して、口先だけの「こんなにしっかりしてるんだからまだ大丈夫よ」と言うのを何年も繰り返していた。
突然亡くなった訳では無く、私はそれなりに心の準備ができていた。
コロナが蔓延し、まずその人たちに会えなくなった時も。
子供が産まれましたよ、なんて写真を送った時も。
「もう意識がないのよ」と一報を受けた時も。全部全部、もう2度と会えないと、覚悟していたはずなのに。
どうして今、もっと電話できたんじゃないかとか、コロナが蔓延していても、会いにいくことができたんじゃ無いかとか、思ったりするんだろう。
葬儀には行かなかった。行けなかった。
遠い地に住んでいるというのは、こういう事なのだと、この2年間何度も思ったので、別段何の感情も抱きはしないのだけど、地面に落ちた花を見る度、この世を去った人に思いを馳せる。
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