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おさい銭のきんがく。-喜捨-

喜捨

禅の言葉に「喜捨」というのがあります。
「よろこんで捨てる」。

何を?

それは執着です。

執着から解き放たれて
心をすっきりと澄んだ状態にします。

つまりは
「捨てた」という
実感が大事なわけです。

おさい銭

神社でお参りする際に
おさい銭をします。

この金額は特に決められていません。
決められないのです。

それは人によって違うからです。

違うのはお願いの大きさや数では
ありません。

人によって執着から離れられる
金額が違うからです。

例えば、自分のお金が
100円しかない人にとって、
10円というのは
とても大きな金額です。

100円のおさい銭をしてしまうと
自分が生きていくのに
困ってしまいます。

一方でお金を何億と
持っている人にとって、
10円というのが
生きていくうえでの
影響は先ほどの人とは
違うはずです。

だから、いくらが適正か
というのは
自分でないと決められないです。

おさい銭というのは
「執着」であり
「手放せない」「捨てられない」
ものです。

だから、
手放すのに躊躇するくらいの金額
を自分で決めて、自分で行うのが
良いのではないでしょうか。

人によれば、
もっと小さい金額のひとも
お札になるひともおられます。

大事なことは
それを喜んで捨てて
執着からひとつ離れられると
いうことだと思います。

しかし、これは私個人の考え方です。
他の方がどのようにとらえるかは
自由です。

おさい銭の行く先

喜捨は喜んで捨てると
言いました。

今はリサイクルの時代。
おさい銭ももともと
次の目的へと使われています。

私は以前ファイナンスの仕事を
していました。

お客さまには神社もありました。
実際におさい銭を預かりに
神社へ定例的に訪問していました。

おさい銭はお金です。
預金になります。

その預金は神社の管理費用として
厳正に管理されていました。

次の目的があるときまでは
ずっと保管をしています。

神社の建物や設備は物であるため
時間の経過とともに
傷んで来ます。

そして修復等が必要となった際、
その費用にあてられていた
ようです。

参拝された方の思いは
こういった形で神社に
長く長く
残されていくのですね。


最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
神社の清涼感が良いですね。

明日も書くことを
続けます。





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