憧れは、

憧れは自分の対極にある人間のことを指し示すのかもね。

私は、強い意見を堂々と言える人になりたいと思っていたのよ。

それがカッコいいと感じていたから。

だけど、それは自分のスタイルじゃないな、と感じてさぁ。自分がいくらそっち側のスタイルを手に入れようと頑張ったとしても、手に入れる頃にはストレスでメンタルがめちゃくちゃになりそうなんだよな、と思って。

憧れは持つべきで、自分を成長させてくれる糧になったりするでしょ。
だからそれ自体を持つことに否定はしないし、むしろ青年くらいの年代に対しては進んでそういうのを持ちなさいよ、とは思うのよね。
野心というか。自分の器を広げてくれる大きな一因になると思うから。

いや、私はもう「自分の器を広げなくていいや」と悟った訳ではないんですよ。

ただ、今まで描いていた「強い意見を堂々と言える人」っていう憧れ、そのスタイルは自分に合わなかった、ということを悟った、という話で。

つまりその憧れに至るまでの道筋を考えた時に、自分には合わないと感じたんだよね。

ということで、次の憧れを探す旅に出ようかと思っています。
どこに?誰と?

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一方で、憧れを持たない、っていうのもアリよね、とは思うのよね。
だって、それ、私には、「憧れを持たない」=「今の自分に満足している」ということの現れだと思うから。

今の自分に満足してる、だって?!そんなん、散々酔っぱらった自分ですら口を滑らすことのないようなセリフだな、と思うんですけど、

それじゃ、いったい私は、今の自分の、どこに不満を持っているんだろうか。

ここ一年くらい、noteに自分の思いを可視化したりして、なるべく思いをアウトプットすることに心がけてきたんですけど、そのせいか、自分のダメさ加減を悲観して鬱に入るようなことって減ったような気がするんすよね。良くも悪くも。

私の場合、自分の思いをペンとかでノートに書くと、その文章がいかに自分を卑下したものだとしても、だんだん、自分を肯定したくなってくるんですよね。それは不思議な感覚だったな。そのおかげで、ほぼ日手帳には自分を励ますような書きっぷりが増えました。

それでもなお、私は私に満足していないのだ、と。

多分それは、どこまで行っても自分に対して無いものねだりで、多分それは、一生続くんだろうな、と。

きっとここで大切なのは、自分の考え方を変えるってことなんだろうなぁ。私は、多分、自分に満足するような心持ちでいるべき。

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