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「○○」しただけで奇跡が起きました!そもそも奇跡って何?

はじめまして。しゅんです。
「奇跡」って信じますか?

1「実際に自分の身に起きた✨💍✨」
2「信じてるよ~♥️」
3 「信じたい…」
4「私には縁がない💦」
5「そもそも奇跡って何?」
この中で、あなたに近いのはどれでしょうか?
ちなみにこれまでの僕は1以外の全部が当てはまりました。
「奇跡」を体験されてる人はいるし、もちろん「2.信じてるよ~♥️」。でもこれまでの自分を振り返ってみると「3.信じたい」と思っているのが正直な自分です。それは自分の身には奇跡経験や自覚がない、つまり「4.私には縁がない」からです。

でも、僕ら全ての人間は奇跡そのものなんです。
こう書くと、大多数の人は
「自分は何億通りもの可能性の中から、奇跡的に誕生してきたんでしょ!」とか
「飢餓や貧困、紛争のない平和な日本に生まれてこれたことが奇跡なんでしょ」
と答えるでしょう。

そのとおり。だから、「1.実際に自分の身に起きた✨💍✨」なんです。よかった。よかった。

えええっ!!そんな答えを期待して、記事読んだんじゃないよ!!!ふざけんな!!時間返せ!
ですよね。

もちろん、違います。

しかし、この「生命誕生」の「奇跡」を軽く考えていたら、あなたの身に一生涯「奇跡」は起こりません。いや、気づくことができません。

そこで、「5.そもそも奇跡って何?」になるわけです。
ここまでは、いいですか?

僕らは奇跡というと、次のような話をイメージしがちです。
ある日、散歩をしていたら、道端にカバンが落ちていて、中身を見ると、見たこともない数の札束が入っていた。警察に届けたものの、持ち主が現れずに多額の現金を手にした!みたいな。

冗談みたいな話ですが、これは立派な「奇跡」です。
えええっ!!「生命誕生」と「現金拾った」って、別物じゃん!!!テキトーな記事を読ませんな!!
ですよね。

いえ、ここには大事な共通項があります。
たぶん、感の鋭い人ならもう分かったことでしょう。ここで記事を読むのやめても大丈夫。もうすでに奇跡を体験しているか、これから奇跡を体験できるでしょう。

答えは

「自分では何もしてない。」

です。
命を授かったのも、日本に生まれたのも、現金を拾ったのも、全く自分の意思が存在していません。自分では意図すらしていないことが起きたという意味で共通しているのです。

一つの目標に向かってチャレンジして、多数のライバルとのし烈な争いの中を勝ち進んで「奇跡的」な結果を得た人もいるでしょう。しかし、それはあなたが「奇跡的」と感じるだけで、あなたの「努力」と「運」が起こした出来事なのです。

ここでいう「奇跡」の定義とは違います。

さて、僕の奇跡をお話しましょう。
小説「54歳マイクエやってみた」という小説を書いています。
これはあるセミナーに参加した2024年4月~5月の出来事を軸に自分の半生を振り返ったファンタジー小説ですが、これは自分では意図せず生まれた小説、つまり「奇跡」が起きたのです。
誤解されたくないのですが、セミナー体験が下敷きですが、小説を書こうとして、書いたわけではないのです。

なぜ、小説が生まれたか?記事のタイトル「〇〇しただけで奇跡が起きました」ですが、「自分を手放しただけで、小説が生まれるという意図してなかったこと(奇跡)が起きました」です。

セミナーは小説家養成コースといったものではありません。自己啓発セミナー。参加の目的は「ダメな自分」「低い自己肯定感」を変えるためでした。一生懸命、ワークに取り組みましたが、セミナー前半が終わっても全く変化を感じませんでした。講師からはセミナー後半が始まるまでの2か月間を個人ワークに取り組んでくださいとの説明でした。それを聞いて愕然としました。講師は素晴らしく講義の内容もいい、セミナー参加者の意識もみんな高い、それなのに自分は変われなかった。それを一人で変えろ?無茶じゃん!無理じゃん!一人じゃ無理だからセミナーに参加したんじゃないか!そこから大きく凹み、風邪をひいたりと、散々な展開の始まりでした。

ついに3日と状況に耐えられず、講師に苦情めいたメールを出したのです。「どうしたらいいですか?!」
講師からきた返事は、「人と比べてしまってダメだと思っている自分をしっかり感じ味わい切ってください。自分のことを深堀りしてください」というものでした。同情はありませんでした。ただ講師は最初から「しゅんさんは大丈夫!」と僕を信じてくれていたのです。そこでワークそっちのけで「ダメな自分」を深堀することに集中することにしました。宿題とかはキチンとする性格でしたが、自分を捨ててルールに従わなかったのです。過去の出来事や感情とひたすら向き合い、それをメモに書き出しました。あっという間にメモは大量になりましたが、自分に変化は起きませんでした。

そこで、今度はセミナー参加者にも愚痴を聞いてもらおうとビデオ通話しました。悩みを打ち明けていると、何の前触れもなく、自分を主人公の物語の構想が頭に浮かんできたんです。ダメな自分が変わっていく…という話。

「ダメな自分」を赤裸々にするのは嫌で仕方ないのですが、次から次へとアイデアがあふれ出てきて、紙とペンでは追うのは無理になり、ついにはパソコンに向かうことになりました。その結果、演出は加えていますが、計画・準備なしの小説が誕生したのでした。

ところで、本来の目的だった「新しい自分」にも変わることができました。

疑問は残りました。なぜ?小説を???
しかし、思い当たるフシがない。読書は好きだけど、本の虫ってほどでもなく、小説を書くこととは無縁の人生でした。かといってこの現象を無視してはいけない気がして、いろいろ調べてみました。願ったものが手にできるのが「運」、想像だにしないことが起きるのが「奇跡」だとわかりました。自分に向き合うだけ向き合って、最後は愚痴を言おうと自分(変化)を手放せたんだと思います。
これから、いろんなものを手放していって、奇跡を楽しみ、新しい生き方を手にしたいと思います。
奇跡の産物である小説「54歳マイクエで奇跡をみた」に興味を持っていただけたら、幸いです。

人それぞれのとらえ方はありますが、あなたは奇跡をどう考えますか?

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