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立ち尽くしている

どうもバスに乗ると対人スイッチが切れてしまうようだな、と思う。
サークルが終わって、友達とだべりながらバスに乗って、そうするともうだめなのだ。スコンと対人用の自分のようなものが剥がれ落ちてしまって、バスではかろうじて二、三の会話をしつつも、降りたら本当にもう駄目。仲良さげに話しているサークルの人たちを尻目に(弁解しておくが、サークル内で仲間外れにされているとかではない)速足で駅に向かい、ホームで本を開く。
この本は若干の気まずさを覆い隠すための物でもあり、単純に読みたいから開くものでもある。
本を開いて、読み始めて、この日は少し違った。表紙に惹かれて手に取っただけの本なのだが、面白くて、面白くて、面白い!知らず自分が前のめりになっていくのをどこか俯瞰的に感じていた。
いつもはそれなりに長く感じる最寄り駅までの時間が異様に短く感じる。この世界に切れ目をいれたくなくて、いっそ読み終わるまで電車に乗り続けてしまおうかとも思うのだけど、明日の一限と天秤にかけてやめた。必修だし。
本を片手に持って改札を通り、家までどうしようもなく我慢できずに歩きながら本を開く。サークル帰りだからもう八時を過ぎていて、駅周辺は良かったが電灯がまばらになってくると文字が追えなくなるのが煩わしかった。
子供の頃はよく電灯の下に立ち尽くして本を読んで怒られたものだが、大学生になった今同じことをするわけにもいかない。そういう思いで足を進めるが、やはり暗くて読めない。ページに自分の影が掛かって鬱陶しい。残りページもあといくばくもないだろう。
ときに本とはものすごい魔力でもって人を縛り付けてくるもので、そう、抗えなかったのだ。わたしが保育園の近くの電灯で立ち尽くして本を読んでいる間、何人の人が通り過ぎて行ったろう。小柄な女が俯きがちに壁の方を向いて立ち尽くしているのだから怖がらせた人もいたかもしれない。
ともかくわたしはそこで本を読み切り、スキップでもしたいような気持で──実際はリュックが重くて出来ないかったが──家に帰ってきたのだ。これが先週の話。

その、めちゃめちゃ面白かった本を私は今失くしている。困る。あんな赤い表紙のハードカバー、なくすわけないのに。家までの帰途で読んだのだから、家以外にあるわけがないのに。もう返却期限を超してしまっているから本当に困る。ものをなくす才能が私にはあるのだろうな、と思うが、本当に困るのでやめてほしい。

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