長編小説 定食屋「欽」譚 (11)
1988年3月20日
夜の仕込みを始めようかという午後4の少し前、美代子は大きい食卓の長椅子で転寝をしていた。年度末ということもあって、その週は夜が忙しかった。前日の歓送迎会のグループが散会したのが零時過ぎで、後片付けをして床に入ったのは午前2時を過ぎていた。
まだ30半ばとはいえ、積もった疲れでへたばる寸前だった。少し休もうと長椅子に横になり、膝掛けで身体を被って膝を折った。腕枕してねそべるとあっという間に眠ってしまった。
鈴の音で目覚めたが、一瞬自分がどこにいるのか解らなかった。辺りをくるくる見回すと扉の前に黒いコートの背の高い男が立っているのが眼に入った。中型の黒いキャスターバッグが足元にあった。
「いらっしゃいませ。うっかり眠ってしまったみたい。まだ夜の部には早いですけれど」
慌てて立ち上がって壁の時計を見上げた。15分くらい熟睡したようだ。客は美代子より頭一つ半は上背がある。見上げると、どこかで見たような顔があった。
男は、美代子が急いで立ち上がって跳ね飛ばした膝掛けを拾った。両手で埃を振り払いゆるりと畳む。ゆっくりした動作の間、じっくり顔を見た。男も膝掛けを手渡しながら、美代子を見返す。
「恭太兄ちゃん? どうしてここに」
笑顔が返ってきた。両の目尻に笑い皴が寄る。
「元気そうだね。23年ぶりだ。美代子はあのまま大人になったんだね。変わっていない」
恭太は変わっていた。中学の時は美代子とほとんど同じくらいの身の丈だったのに、随分と大きくなっていた。色白は同じだ。面長になって骨ばり、ぱらぱらだった顎髭は剃り跡が青く、髪に白髪が混じっている。
美代子は慌てて手櫛で髪を整える。長椅子に残ったレモン色のバンダナで目頭を拭い、被った。
「来てくれて嬉しいけれど、前もって連絡して欲しかった」
美代子は『そうすればこんなに取り乱さずに済んだのに』と思う。恭太は美代子が寝ていた長いベンチに腰かけた。脱いだコートを椅子の傍らに置く。
「同僚がこの近くのマンションに住んでいて、おもしろい女性がやっている『欽』という定食屋ができたと前から誘われていた。女主人は美代子という名だとわかったのが、昨日の僕の送別会で、だった。欽と美代子。もしかしたらと思って気になって、思い切って来てみたら君がいた」
恭太はこの店を『きん』と呼んだ。知人から店の本当の呼び方『よし』と教えられていたら今日来なかったのかも知れない。
「おもしろいってどういう意味なのかしら」
不満そうに取り敢えずいってみたが、先が続かない。恭太にビールを出した。通しは、たこ唐草の小鉢に入れた余市の鰊の切り込み。
「僕にもわからない。会えばわかるって言われた」
話が途絶えた。聴きたいことが山ほどあるような気がする。美代子は不意の出来事に心の内が驚きあわてたままで、整理がつかなかった。沈黙にあらがおうと頭を巡らせるが何も思いつかない。
エアコンの音がいつもより大きく聞こえる。冷蔵庫のコンプレッサーの音に驚いて意味もなくビール瓶の蓋を手にする。恭太は静かなことに気兼ねするでもなく店内を見まわしている。
夜の仕込みをする時間が近づいて来る。予約は入っていなかったが、悲喜交々の年度末、めでたい席を考えて鯛の潮汁と鯛飯を考えていた。主菜は道産豚のロースの生姜焼き、添え物はスライス玉葱と乳酸キャベツの2種。
「私、夜の仕込みをしなくちゃならない」
必要もないのにバンダナを締め直す。
「僕にはかまわなくていいよ。最終便で成田へ行くから長居できないんだ。もしここの美代子が君でなかったら、そのまま千歳へ向かうつもりで少し早めに出てきただけだから」
「成田って。外国へでも行くの?」
それにしてはバッグのサイズが小さいことが気になって、目が離せない。些細なことばかりが気になる。
「ミネソタの病院へ勉強に行って来る。任期は予定では3年」
「そんなに長いの」
美代子はバッグを見たまま呟いた。心の内では『そういうことなの』と納得している。どれも上面の気持ちで、美代子の心境は行方不明で心に落ちてこない。
恭太が北海道大学の医学部に入学した当時、村ではかなりの評判になり耳にはしていた。美代子が高校を卒業して、札幌の海北信用金庫に就職した時、多喜子に「北大の医学部にいるから会いに行ってあげて」と言われたことがあったが、会いには行けなかった。
恭太の「自分を許さない、許せない」という言葉が、ずっと美代子の中で生きていた。自分が姿を現すと、恭太が囚われている枷を強めてしまう。美代子自身も、兄の事を考えずに恭太の前に立つことはできない。会うことは互いにとって不幸とイコールなのだ。
1980年6月
美代子が28歳の時、信金の上司の紹介で10歳年上の大橋泰蔵と見合いをし、結婚話がまとまった。泰蔵は富良野の農家出身の次男坊で、某新聞社の広告部門を担当していた。髪は豊かなくせ毛で、人当たりが良く丸い鼻の柔和な顔つきの男だった。
6月中旬の日曜日のことだ。9月の大安に式の日取りが決まり、泰蔵と式場と披露宴の申し込みをしに、中央区のGホテルへ赴いた。同じホテルの中で医学系の学会が開催されており、ロビーは混雑している。ロビーの真ん中の大きな白茶の大理石の柱に、学会ごとの会場の詳細が書かれた案内板が立て掛けてあった。
何気なく学会名を見た時、目が釘付けになった。恭太が意識の中に大きく存在していると自覚したことはない。その学会の発表者の中に、櫻田恭太の名があるのを見るまでは。
「打ち合わせは、向こうのレストランだ」
泰蔵は美代子の腕を取り、混雑の中から連れ出した。泰蔵の動作は洗練されていて、いつもそばにいるのが心地よかった。この時だけは、案内板の前に立っていれば、恭太に会えるかもしれない、と僅かだが動きに逆らった。泰蔵は気づかない。それほど人がいたからだ。諦めて付いてゆく。
レストランに腰かけて、結婚式担当の2人のスタッフと打ち合わせをしている最中も気持ちが集中しなかった。無口なのが、むしろ慎ましさを表しているかのように担当の男が思い込む。
「御嬢さんのようにお淑やかなご婦人は、最近少なくなりました。ご主人になる方が羨ましい」
泰蔵は両眉を挙げて美代子を見たが、何も言わない。ここへ来る車の中では、花嫁衣装へのこだわりや田舎の親戚への引き出物の悩みを泰蔵に話していたのだ。ここでは担当の勧めに嫌の一つも言わなかった。泰蔵は男の言葉を笑ってやり過ごし、美代子から聞いていたこだわりを思慮して話を進めた。
美代子はアパートまで送ってもらった。
「今日はありがとうございました」
車から降りる前に頭を下げると泰蔵に手を握られた。初めての触れ合いだった。美代子は少し驚いて、思わず大きな手から自分の手を引き抜こうとしたが、泰蔵の力は強く離れなかった。大人げなさが恥ずかしくて力を抜くと、泰蔵は手を離した。
「近いうちに映画でも観よう。君は仕事やいろいろな準備で大変だろうけれど、連絡をくれればいつでも時間をとるから」
仕事はむしろ泰蔵の方が多忙だと思っていた。家には寝に帰るだけだと聞いている。結婚したら上司が考慮してくれるというが、今は休日もままならない。美代子のために時間を取ってくれるというのは泰蔵なりに何か、感ずることがあったのだろうか。美代子は申し訳なく思い頭を下げ、車から降りて手を振って別れた。
6月末、札幌は花が咲き乱れる。5月に桜や梅が咲いたあと、ライラックが満開を迎える。公園や街路樹下は、長い冬を過ごした反動で競うように花が植えられた。郊外の山際や、川沿い、防風林などのどこでもニセアカシヤの花が咲く。樹木の姿がみえなくても、芳香が漂う。
薄曇りの朝、美代子は、札幌駅で電車を降りて、北海道大学の南門から構内に入った。小川が流れる窪地を過ぎて右に折れる。まもなく左にエルムの自生林が見渡せた。新緑が茂り、巨木は大きな木陰を作っていた。サークル活動だろうか若いグループが円陣を作って木の下でさんざめいている。
『ポプラ並木』と書いた木の看板が左に立つ交差点を過ぎると、穏やかな東風に載ってニセアカシヤの芳香が漂ってきた。北13条門から歯学部の前を通って中央道路まで300mはあるイチョウ並木には、同僚と2度、銀杏黄葉を見に来たことがある。そばにニセアカシヤが何本かあるのを知っていた。通り過ぎるとき、若緑の小さな葉を抱えたイチョウの後ろにたくさんの花房が垂れている木立ちが見えた。ニセアカシヤの花は旬を過ぎて、薄茶色に変色しているのもあったが、芳香はまだ強かった。
泰蔵との結婚が具体的になるにつれ、泰蔵との触れ合いが重なるにつれ、比例するように恭太のことが頭に絡みつく。
昨日、泰蔵と映画を見に出かけた。遅い夕食を食べ、アパートに戻ったのは午後11時近かった。車から降りる前に手を握られた。強引ではなく、泰蔵の掌は温かかった。触れた面から美代子の腕、身体の中心へと痺れに似たものが走って、少しの間消えなかった。現実の肌合いが、美代子の心に喜びと憂鬱を醸し出す。
来月早々、式と披露宴の招待状が発送される。美代子は気持ちの中に生まれたしつこい心情を消したかった。北大構内を散歩して自分は大丈夫だと確かめよう、それだけのつもりで、朝アパートを出てきたのだった。
歯学部を過ぎると、クロマツが並ぶ。足元には踏み潰された松かさがころがっており、靴の下でカシカシと鳴った。クロマツの間から緩やかな勾配の三角屋根と、白く塗られた壁が見えてきた。医学部の建物だ。その奥のはるかに大きい煉瓦色の近代建築が北大病院だ。
日曜日だというのに学部の建物を出入りする人は意外に多かった。美代子が歩いてきた構内の中央道路には、様々な種類の自生する大木が並び立っている。まだ新緑だが、木陰は薄暗い。学部の前で気持ち、足を遅めたが、学生らしき集団が建物から出て来たため、歩調を戻しまっすぐ北へ進んだ。
本気で北大病院へ行くなら西5丁目通りを歩けばよかったのだと思いあたる。ここからだと病院は遠い。すぐ目の前にあるのに、回り道しなければ行きつかない。
立ち止まらなかった。「逢いに来たのではない」と言い聞かせる必要もなかった。北大構内の春の香気のトンネルを潜り抜け、北18条門に行き止まる。
大木に囲まれた18条通りをそのまま真っ直ぐ西へ歩いた。竪穴式住居跡を保存している草地を過ぎると風景が変わり、恭太の職場はさらに遠くなった。
構内を出て、石山通りを南下し始める頃には、美代子の気持ちはしいんと閑かになっていた。
「恭太兄ちゃん、さようなら」
農学部の畑地を左にしてアパートへ向かう。ここでもニセアカシヤの芳香が美代子を包む。深呼吸をすると春の名残が心に沁み渡る。
北3条通り公園12丁目のサンライズマンションで、泰蔵との新生活が始まった。口数が少ない泰蔵だが、新婚当初、美代子と和との関係を訝しく思っていることを、率直に問われたことが、美代子を成長させるきっかけになった。
「君と、お母さんは血が繋がっていないのか?」
結納の席や結婚式の時に感じたままを話してくれた。確かに端から見たら、母と娘が、微笑みすら交わさない関係は普通ではない。
巌は世間の父親らしく、嬉しそうに泰蔵を相手に杯を重ねたが、和とは交流がなかった。
巌が「こいつは田舎育ちだから、礼儀を知らないもので」と座を持たせたりしたが、泰蔵の目はごまかせなかった。
美代子は石を見せ、兄欽一が亡くなってからのことを掻い摘んで話した。和が、欽一が亡くなってから美代子を疎んじるようになったこと、それが現在まで続いていることも話した。
「それにしても、可愛い一人娘ではないか。それも、残った、たった一人の子どもだ。僕には理解できない」
自分が、欽一が亡くなった原因を作ったのが最大の原因で、母は悪くないと庇ったが、泰蔵は納得した風ではない。
「兄はとても優秀でした。母の誇りだったと、実際この耳で聞いたことがあります。亡くなってしまって自分の夢、希望はすべて消え失せた、と」
兄が亡くなって2、3年たった頃に、巌と和が居間で諍っているのを聞いたことがあった。学校から戻ると大きな声が屋内から聞こえてきたのに驚いて、玄関横の開いた出窓の下に座り込んだ。言い争っていたのは美代子のことだ。娘への冷たい態度に業を煮やした巌が和を諫めた後、和が放った言葉だった。和は「あの子が私から全部奪ったんだ」と続けたがそこは泰蔵には話せなかった。
話が済んだ時、泰蔵は美代子に、一つだけ確認した。
「君は、この石が傍にある方がいいのかい? 身近に置いておきたくないのではないのか?」
くせ毛の下の、くっきりした二重の柔らかな眼差しに見つめられて、美代子はとっさの本音を言う。
「これを持つことが、私の兄への供養だと思っています」
「持つことが供養なのはわかる。しかし、持っていたいのかと聞いたんだ」
「持っていなければならない、ということしかわかりません」
責められたわけではないが、美代子は涙ぐんでいた。自分の言ったことに嘘はなかったが、持っていたくないという選択肢があったことを初めて知ったのだった。
「ごめん。わかったよ、君の気持ちは。重荷だったら可哀そうだと思って訊いたのだ。自分の身に余るようなことにでもなったら、いつでも相談してくれ」
泰蔵の見識と広い心の元で、美代子は野原家の縛りから少しずつ解き放たれて、自由になっていった。信金をやめて、主婦として泰蔵の健康に気を遣い、やがて授かるだろう自分達の子のために日々を過ごした。
北大医学部の前をそのまま過ぎ、石山通りを脚にまめができるほど歩いて、アパートまで帰ったあの日以降、恭太を慕う気持ちが生活の中で大きくなることはなかった。思い出すとしても、恭太は中学三年のままで、結婚の前に恭太を探したのは、互いの差がまだ小さかったからだとだんだんに思う。経験や時間によって、美代子の中で少しずつ恭太との年齢差が開いていく。大人の私と中学3年生の恭太兄ちゃん。
子は授からなかった。結婚して3年経っても妊娠しないのは不妊症かもしれない、と友人に言われて近くの産婦人科を受診したことがあった。基礎体温をつけ精密検査をしても、原因はわからなかった。泰蔵は泌尿器科を受診したがこちらも明らかな異常はないと言われたのだった。
「構わない。二人でやっていこう」
泰蔵は仕事の忙しさもあって、拘らずに飄々としていた。美代子は産めないことが信じられなかった。どこも異常がないのになぜ授からないのか。その哀しさ、悔しさ、さみしさを乗り越えるのには、泰蔵より時間と気力を要した。諦めたのは35才近くなってからだ。
結婚当初から、料理を造るのが好きということもあって、家事の合間に知人の定食屋を手伝っていたが、時と共に、手伝いの時間が長くなっていった。
もともと、手でもの創りをするのが好きだったから、子どもがいない分料理にのめり込み、調理師の免許だけではなく食品衛生責任者や防火管理者の資格も取ってしまった。主婦の片手間ではなく、主婦が片手間になりそうな勢いだったが、子どもを諦めた頃から、自分の店を持つことがおのずから目標となっていった。