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第30回 実名を使ったのは何故?

昌子内親王の父は朱雀天皇、夫は冷泉天皇でお二人とも『源氏物語』にはメインで出てきます。朱雀天皇は光源氏の異母兄でどちらかといえば負け犬扱い。冷泉天皇は不義の子であるというややマイナス的な登場です。
宇多天皇や陽成天皇もちらりと出てきますが、どうして紫式部は実在の天皇の名を出したのでしょう。特に冷泉天皇は上皇としてその時、生存していました。
それはもちろん物語に現実感を持たせるためだと思いますが、紫式部はとても頭の良い女性で、きちんと使える人と使えない人を分けていたようです。

すなわち朱雀天皇は病弱で、皇女1人しか遺さず、30歳で崩御された方、今上(一条天皇)の直系ではありません。それから冷泉天皇は精神異常の振る舞いがあって、周囲から軽んじられていました。
後の『大鏡』でも冷泉天皇の記述に、息子の三条天皇の大嘗会(だいじょうえ:即位後初めての新嘗祭。天皇一世一代の大事業。今でもありますよね)の直前10月に崩御されて、人々が「せっかくの御大礼の前に折悪しく崩御された事よ」と言っていたとあります。
朱雀天皇、冷泉天皇なら使って良しと紫式部は判断したのでしょう。

逆に、醍醐天皇か村上天皇と思しき「桐壺の帝」ですが、こちらは実名を出していません。円融天皇も一条天皇尾の父君なのでか、名は出てきません。宇多天皇は直系ですが、遠い事だし、内容が悪くないので出したのでしょう。

さて、現代でも2001年製作で、東映50周年記念という『千年の恋ひかる源氏物語』という映画がありました。吉永小百合が紫式部、天海祐希が光源氏と豪華なキャストで製作費も当時14億円、豪華な衣装も話題となりました。
私も観に行ったのですが、そこでは朱雀帝は「十条帝」、冷泉帝は「玲瓏帝」と聞いた事もない名前になっていました。
テレビドラマなら割と使っていますが、やはり50周年の大切な記念映画、実在の天皇の名を使って変なクレームでもきたらと気を使ったのでしょうか。
その割に紫式部が越前の出身という設定で、最後越前に帰って、吉永小百合が笑顔で漁民たちと船の綱を曳いているのにはズッコケました、(1年半しかいなかった筈なのに)

まあツッコミどころ満載で、紫式部の数歳上の筈の清少納言が当時81歳の森光子。さすがに・・・夫が強盗に襲われて亡くなった(本当は病死)。それから突如松田聖子が架空の役柄で歌いだしたのも驚きました。
天海祐希の光源氏は宝塚的で異和感はなかったのですが、海外からは「女同士が抱き合う奇異な映画」と評されて、それで評価は5点満点の1.9。映画を作るのってほんとに難しいですね・・・

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