見出し画像

第160回 頼朝と全成の出会い

治承4(1180)年10月1日、異母兄・頼朝の挙兵を聞いていち早く常磐の長子、全成(ぜんじょう)が醍醐寺を抜け出し、下総まで駆け付けました。
頼朝は全成の手を取って泣きましたが、後で、
「あの、母上を苦しめた常盤の息子じゃな」
と苦い記憶を思い出しました。平治の乱の前、父義朝は愛妾常磐の所に入り浸りで、正室である母は苦悩しそして病死したのでした。
「まだ二人おるな・・・やがて来るであろう」
頼朝は母の仕返しもしてやろうと思いました。

10月6日、頼朝は先祖頼義と縁の深い鎌倉に入りました。
鎌倉が三方を山に囲まれ、前が海と、要害の地だからでもありました。
平家方はすぐに追討軍を送る事は決めましたが、日が悪いの何のと、ひと月も出発が遅れる事になりました。その間に源氏軍は勢いを増していきました。

やっと平家は富士川に、重盛の長男維盛を総大将とし、維盛の乳父である伊藤忠清を補佐の侍大将として七万の軍を組織し送りました。しかし志気は余り上がっていませんでした。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?