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第51回 源典侍に筆誅

香子にとって、源典侍は嫂(あによめ)にも当たる先輩女房で、何かとやりにくいし、因縁もあったのでしょう。よく思っていませんでした。
観察眼の鋭い香子ですから、宮中中で、源典侍があまり快く思われていない事を見抜きます。

愛読の『伊勢物語』でも、業平が老女と交わる場面が描かれています。
香子は、本名こそ出さないまでも「源典侍」と官名で「紅葉賀」の帖の最後に付け加えます。

「紅葉賀」は光源氏が青海波を舞う訳ですが、藤壺はすでに懐妊しています。息苦しい中で、藤壺はついに皇子を出産します。
そんな時に何の脈絡もなく「源典侍」という老女房が登場します。まあ、能に対する狂言の様な一服の清涼剤といえなくもないですが。

物語での源典侍の描写は容赦しません。
「年は五十七、八(現実の源典侍ー源明子は五十前後?)・・瞼(まぶた)はすっかり黒ずみ落ちくぼんで、髪の毛もたいそうほつれてけば立っている」
そして意味深な「森の下草」の歌を詠ませます。
「君し来(こ)ば 手(た)なれの駒に刈り飼はむ さかり過ぎたる下葉なりとも」
(あなた様がおいで下さるなら、お手ならしの馬に草を刈ってご馳走いたしましょう。盛りも過ぎて若くもない下葉の私ですが」
流し目を送って誘惑する姿に、桐壺帝もちらと見て、
「堅物だと思っていたが、なかなかやるな」
と笑って言います。二人は懇ろになります。

源典侍が源氏の新しい恋人と聞いて、葵の上の兄、頭の中将がすぐに対抗心を燃やして源典侍と関係を持ちます。この人は左大臣の長男、そして母親が桐壺帝の妹の内親王ですから出自にひけを感じていません。何かと対抗します。後に出てくる薫のものは何でも欲しがる匂宮のような?(そこまで露骨ではありませんが)

そして源氏が源典侍の所に泊っている情報を知った頭の中将は、頃を見計らって太刀を持って二人を脅かしにいきます。そこで修理大夫(老年の恋人:現実の典侍には夫がいる)と勘違いして驚いた源典侍は、「あが君、あが君」と手を挙げて拝みます。源氏も頭の中将と分かって取っ組み合い、二人はお互いに服を裂きます。

この何とも言えぬ「喜劇」ですが、当時は本が貴重なので、各局で、声の良い女房が朗読し、数人ないしはもっとたくさんの人が聴いて楽しんでいたのです。お姫様は絵を見ながらでちょうど紙芝居の様なものでしょうか。『源氏物語絵巻』でも絵を見る浮舟の横で、女房が朗読しています。

各局は、爆笑の渦だった事でしょう。誰しもが、物語の典侍を現実の典侍と想像しました。天皇付きの老いたる女官。年甲斐もなく若い男に秋波を送る。不思議な事に香子への非難の記事は見た事がありません。
中宮付きの女房たちは、源典侍に反感を持っていた事を計算済みだったのでしょう。

源典侍はいたたまれなくなったのでしょうか、辞表を出しますが、慰留された様です。
しかしこの「筆誅」で、出仕当初の様に、受領出身の後家と揶揄される事など許されなくなりました。香子を敵に回すと恐ろしい仕返しが来るのが分かったからです。

追伸:いつも毎日、どなたかが電子書籍の『源氏物語誕生』を読んで下さっている様で有難うございます!

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