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第38回 朧(おぼろ)月夜のモデルは『伊勢物語』の藤原高子?

光源氏が関係する女君たちの中で朧月夜は華やかで豊満なイメージがあると言われます。
母桐壺を苛め抜いた弘徽殿の女御の妹。政敵の妹になります。
しかし政敵の娘に手を出すというのは、何か破滅的な魅力があり、『ロミオとジュリエット』でも対立する家の男女が愛し合い逃げるのでそれに重ね合わせる人もいます。

自分の物語を作る上で、香子は『伊勢物語』を愛読・熟読していました。
主人公と思しき在原業平の父阿保親王は、藤原良房から無実の罪に陥れられ、三か月で亡くなっていました。業平18歳の時です。良房はやがて外孫の皇子を清和天皇とし、自らは摂政となり全盛を誇っていました。
しかし良房は次の持ち駒がありません。姪の高子(たかいこ)が美貌なので養女とし、清和天皇の元へ入内させようとしています。
860年1月、36歳の業平は19歳の高子を東五条第から盗み出します。よく女を背負った男の絵が俵屋宗達などによって描かれていますが、京から高槻と思われる芥川までは何十Kmとありますから恐らくは馬に乗せて逃げたのでしょうが絵になる背負いにしたのでしょう。

結局高子は連れ戻され、25歳の時に清和天皇に入内、やがて陽成天皇を産み、陽成天皇が譲位後は二条院に住まい「二条の后」と呼ばれました。

さて『源氏物語』「花の宴」の後の深夜、恋しい藤壺に会えない源氏は朧月夜を見かけ犯してしまいます。「私は何をしても許される身なのですよ」という言葉が傲慢ですね。ひょっとしたら、香子も道長から言われたかも知れません。(後年)
『伊勢物語』の中で29段に「花の賀」というのがあります。東宮の母となった高子は、業平を歌人として自分の御所に招く事を許されました。そこで業平が意味深な歌を詠むのです。
「花に飽かぬ嘆きはいつもせしかども 今日のこよひに似る時はなしー桜の花が散る嘆きはいつもしていましたが、今宵は特にそれを感じます。(だって貴女が前にいるから)」
業平の歌は思わせぶりで、御簾の中にいたであろう高子も周囲ももう十数年も前の出奔を思い出した事でしょう。

『源氏物語』では光源氏は朱雀帝への入内が決まっている朧月夜とずるずると関係を続け、結局嵐の朝に帰る事ができず密通が発覚してしまいます。それで自己謹慎という形で須磨に退去します。
兄朱雀帝の元に朧月夜は入内し愛されますが、朱雀帝はまだ源氏への未練があると思う朧月夜に痛烈な言葉を言います。
「貴女があの人の子を産んでも皇子になれないんだよ」

朱雀帝が譲位し出家し、朧月夜が実家に帰ったのを聞いて源氏はまた忍び、紫の上を悲しませます。二人とも40を過ぎていたでしょうか?
朧月夜はやがて出家し、二人は思い出の中で生きる事になります。

業平と高子も過去恋人であった事を忘れる事なく、業平は陽成天皇の養育に励みます。乗馬を教えたり和歌を教えたり。しかし業平は55歳で亡くなります。
業平が亡くなった後、高子と陽成天皇は政争に巻き込まれ、陽成天皇は17歳で退位。そして高子も55歳の時に護持僧との密通をでっちあげられ后の位を取り上げられています。(死後、三十三回忌の後復活)
現代において、陽成天皇とその母高子の評判は最悪です。しかしこれは為政者がさんざんにこきおろした冤罪ではないかとの考えがやっと出てきています。(宣伝:拙著『伊勢物語誕生』)

陽成天皇も譲位後、二条院に住まいました。光源氏の本邸は二条院です。香子(紫式部)は陽成院と高子に同情を寄せていたでしょうか?

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