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第94回 平家納経

応保2(1162)年2月5日、二条天皇の愛を失って出家した中宮・姝子内親王は高松院と表向き格上げされ、前関白忠通(66歳)の遅くにできた娘で、17歳の育子が入内してきました。忠通は、まだ帝の外戚となる夢を捨てきれなかったし、また二条天皇も「腐っても鯛」ではないですが、日の出の勢いの平氏に対抗するため摂関家の力を利用しようとしました。2月19日、育子は中宮となりました。

3月になって、清盛の次男基盛が突然病に臥し、清盛らが見守る中で、24歳の若さで亡くなってしまいました。後妻時子の子ではなく、先妻の子でした。
基盛の遺した幼い子は、基盛の兄・重盛が引き取って育てました。後に歌人となり、壇ノ浦で亡くなる行盛です。
嘆く清盛に、腹心の盛国が言いました。
「基盛様のためにも厳島神社に写経を奉納してはどうでしょうか?」
「そうじゃな、良い考えじゃ」

こうして、金銀の切箔や砂子によって、華麗に装飾された料紙に清盛、時子ら一族がそれぞれ写経していきました。表紙と見返しには様々な美しい絵が絵師によって描かれました。
「何か、『源氏物語絵巻』を見るような・・・」
清盛は思い出しました。
「20年以上も前、父上はあの美しい料紙をすべて用意されたのだった」
待賢門院などのために忠盛が率先して『源氏物語絵巻』の料紙を用意したのでした。それは惜しくも現在、半数以上が消失していますが。(続く)

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