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第46回 基経の野望

貞観13(871)年、36歳の基経に初めて男児が生まれました。後の時平です。基経には姫は多く生まれていたのですが、若君は初めてですし、摂家の後継ぎです。
68歳の良房は、後継者の誕生に赤子を抱いて目を細めて喜びました。

この年4月、良房は名文家である菅原道真(27歳)に文章を依頼しています。道真と時平。後年対決する二人でした。

「東宮の女御」と尊称されていた高子(30歳)は二度目の懐妊をしました。30を迎えても高子の美貌は更に磨きがかかり、心身不安定の清和天皇(22歳)の寵愛は深いものがありました。業平は47歳。やはり時々、高子の御所に歌の詠み手として呼ばれていました。

9月、太皇太后順子が63歳で亡くなります。良房の妹であり、清和天皇の祖母で宮中でも重きをなしていました。
ここで基経はかねてから企んでいた事を実行します。娘の頼子(15歳?)を清和天皇に入内させるのです。良房はもちろん反対せず、結果、誰も反対しませんでした。
しかし高子は激怒します。
「叔母の夫に、姪を入内させるのか!おぞましい」
夫の清和天皇が女色に溺れていくのを高子はどうする事もできませんでした。そしてそれを何とかせねばならぬ筈の清和天皇の祖父良房や基経は逆に助長しています。天皇を骨抜きにして権勢を我が物にするのでした。

「こんな事なら私を入内させなくても良かったのでは?」
しかし良房のかつてのライバル良相の娘多美子が先に入内した時、基経の娘はまだ8歳を頭にする幼女ばかりでした。多美子がいつ懐妊するか分からない状態で高子の入内は必須でした。結局多美子は不妊でしたが。

兄基経への不信感。更には清和天皇への不信感を募らせていく高子はその年の末、自身には二番目の皇子、貞保(さだやす)親王を産むのでした。(続く)

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