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第31回 芥川(あくたがわ)

盗んだ高子姫を業平は芥川まで連れて行きます。恐らく別邸があったからでしょうが、芦屋にもあった筈ですが遠いからですね。
江戸時代の俵屋宗達や、大正時代でも竹久夢二が、高子を背負って逃げる業平の姿を描いています。でも京から高槻市の芥川まで(何と京の塵が積もった川ー芥川という説までありますが)は、ネットで確認しても16キロ以上はあるので、恐らく馬に高子を抱っこして(まさにお姫様だっこ!)乗って行ったのでしょう。
途中で、高子が月光に輝く草の夜露を見て、「あれは何?白玉(真珠)?」と問います。その時には業平は答えなかったのでしょうか?

宝塚の「花の業平」では別邸に隠れている二人の所に、追ってきた基経と応援の異母兄国経などに踏み込まれ、高子は連れ去られます。そして歌を詠みます。
「白玉か何ぞと人の問ひしとき 露とこたへて消えなましものを」-「白玉ですか、何ですか、とあの人が尋ねた時、露ですよと答えてそのまま私も消えてしまえばよかったのに」-

『伊勢物語』第6段前半では、女は鬼に喰われてしまったーとあります。「鬼伝説」は昔からあって、行方不明になった人は、鬼に喰われてしまったのではないかという話です。
後半というか最後に、「御兄(しょうと)堀河の大臣(おとど)、太郎国経の大納言がまだ下﨟(げろう:身分が低い)にて・・」とか「后のただにおはしける時」とかだいぶ後の時代の方が書き足した感があります。
原文というか前半部分は紀貫之、最後の書き足しは、藤原師輔の命を受けた源順(したごう)という文化人かなあ?なんて私は思うのですが、とにかく『伊勢物語』は謎が多いですよね。

私は20代の時、無謀にも高速道路を使わずに明石から京都まで車で行った事があります。水無瀬神宮やいろいろ名所を回るためですが、その時、確か高槻あたりの171号線の交差点で、ふと標識を見ると「芥川」とあるではありませんか。当時はナビもないし、道路地図帳だけを頼りに行っていたのですが。私は車を停めてその湿地帯の所に降りてみました。何もないただ川と草原だけでしたが、夕暮近かったでしょうか、ここまで業平と高子が逃げてきたのかなあなんて思ったりしました。
とにかくすごく時間がかかって、終盤はさすがに高速に乗ったのですが、もうあんな体に堪える事はできませんね!(笑)

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