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第96回 「宇治十帖」進む

「宇治十帖」が実は大弐の三位(賢子)が書いたのではないかという説は昔から言われていました。文章の表現が違うなどが原因ですが、いつの時に書かれたかも分からないし、紫式部がそれこそ老いてから書いたのであれば、若い頃とはタッチが違うのは当然ですね。ほんとに謎が多いです。

さて、前述したかも分かりませんが、「宇治十帖」は運命の子、薫を中心として展開していきます。でも、中年の光源氏に対しての様に、何だか紫式部は薫に対して、悪意とまではいかなくても余り好意を持っていない描き方をしてるかなあと思いますが、皆さんはどうですか?
例えば、いろいろともたついています。自分が実は頭の中将の子だというのを知るのはいいとしても、宇治の姉の大君の方に恋をして、大君は妹の中の君と一緒にしたいとすれ違い、それで薫は中の君を匂宮と結ばせれば、大君は自分になびくと安易に考え実行します。大君は、「あんな浮気者」と結婚させてと怒ります。匂宮の好色は有名だったのでしょうね。そして大君は最期少しなびいたかな?と思う内に亡くなってしまいます。
そうすると、ああやはり中の君を言われる通り貰っておけばよかったと悶々とします。
また浮舟を紹介された時も、素早くものにしたのですが、宇治に放置していて、その隙を匂宮に寝取られてしまいます。ドジ?最後には、失踪して見つかった浮舟に異父弟の小君を使いにして会おうとするのですが、会ってくれない浮舟に、「ひょっとしたらもう囲っている男がいるのか?」と邪推する始末です。
瀬戸内寂聴さんも、「浮舟は薫より匂宮の方が好きだったと思います。情熱的だし、それに女ってちょっと「ワルの男」の方が好きでしょう?」と言っています。
主人公なのに余り良く書かれない場面が多いのはどうしてなのでしょう?
「男ってこういうものなのよ」という香子の声がまた聞こえてきそうですが、「宇治十帖」でもいろいろ考えさせられる場面が出てきます。(続く)

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