見出し画像

第17回 相婿・藤原敏行

『百人一首』第18番「住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ」-住の江の岸に寄る波の「よる」ではないが、夜でも夢の通い路を通って逢えないのは、あの人が夢の中でも人目を避けているからであろうか。
他にも有名な歌に「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」-風の音に秋を感じたという歌ですね。

さて、藤原敏行は藤原南家の出で、業平の妻の妹、紀有常の娘を妻にしました。つまり妻が姉妹同士の相婿という事になります。敏行の母が有常の妹だったという事もあって深い縁です。
業平と敏行は仲もよく、業平死後、業平を偲んで和歌を盛り上げていこうという動きを敏行はしました。そのせいか?『百人一首』も17番が業平で18番が敏行と連続しています。

『伊勢物語』では第107段に敏行が実名で出てきます。まだ結婚していない時に歌を贈ってきます。
敏行「つれづれのながみにまさる涙川 袖のみひぢて逢ふよしもなし」-貴女への恋に沈んでいると、私の流す涙の川は水かさが増え、お目にかかるすべもないままに、袖が濡れるばかりですー
女の方が歌をうまく書けないので、ある男(業平)が代作をします。
返歌「浅みこそ袖はひづらめ涙川 身さへながると聞かばたのまむ」-貴方の涙川が浅いからこそ袖が濡れるのでしょう。もし、身まで流れると言われるのでしたら思いの深さを信じて貴方を頼みといたしましょう」-
敏行は、その返歌を今でも文箱に大切に取ってあると、男は微笑ましく思っています。

恋が成就してからある雨の日、敏行から手紙が来ます。
敏行「雨の降りぬべきになむ身わずらひ侍る。身さいはひあらば、この雨は降らじ」-逢いに行きたいのに雨に妨げられるとは、私も運の悪い男だなあー
男(業平)はまた代作をします。
返し「かずかずに思ひ思はず問ひがたみ 身をしる雨は降りぞまされる」-お便りをいただいて我が身の幸せもこの程度だったかと思い、涙の雨がますますひどく降ってきますーと恨みがましい歌を返しました。

すると、敏行は蓑(みの)も笠も着けずに、慌ててびっしょりと濡れてやって来たという事です。純情ですね!?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?