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第3回 阿保(あぼ)親王(1)

阿保親王は業平の父です。平城天皇の第一皇子に生まれましたが、母の身分が低かったのか(葛井藤子ーふじいのふじこ。何となくネーミングが・・・)皇太子は7つ下の高岳親王がなりました。
19歳の時に、薬子の変があり、父平城上皇は出家、高岳親王は廃太子となり、連座で阿保親王は大宰権帥(ごんのそち)に流されます。その時、親王には恋仲の侍女(中臣氏)がいて懐妊中だったのですが、大江本主に預け旅立ったと言われます。翌年生まれたのが、大江音人。

大江氏はやがて和歌や学者の家と成し(赤染衛門の夫、匡衡やその曾孫匡房)、そして鎌倉殿の13人にも出てきた広元、そして更に毛利氏に繋がったと言います。
ですから芦屋市に阿保親王の墓と伝えられるものがありましたが、毛利氏は参勤交代の時に必ずその方向に向いて一礼したと言われます。

九州に流されてから14年。その間、阿保親王は現地の女性との間に4男2女を儲けたと思われます。そして824年7月、平城上皇が51歳で崩御。阿保親王に召喚命令が出ます。

前年に異母弟の淳和天皇に譲位したものの、嵯峨上皇の権力は絶大でした。
何故か嵯峨上皇は甥・阿保親王に対して妙に優しくしています。
14年前に仲違いした兄を思っての事か(しかし時々、平城宮に行幸していたという記録があります)、薬子の変自体が陰謀だったのか・・・

早速に、正室をという運びになり、33歳の阿保親王に、叔母ではありますが、伊都(いと)内親王(24歳?)が選ばれ結婚します。
そして翌年に、業平が生まれるのでした。

ところで、私は芦屋駅の北にあるという阿保親王の墓を訪れました。途中、「親王塚町」というのがあったり、喫茶「親王塚」という店がありました。(入りましたが普通の喫茶店でした。当たり前ですよね)
いまだに芦屋を愛したという阿保親王、そしてその人々も親王を敬愛していたという事を知りました。

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