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第18回 平家の人々を見る(2)
頼朝の平重衡、頼盛に対する態度は丁重でした。重衡は三種の神器とか交換する目的、頼盛には母の池の禅尼への恩。
しかし壇ノ浦の戦いの後、総大将の宗盛を鎌倉に呼びつけた時は庭に座らせ、自分は邸の中から直接に話さないという態度でした。
奇しくも25年前、14歳同士だった頼朝は庭、宗盛は清盛の後ろにいて、その時とは大逆転でした。
結局、宗盛は息子と共に京に送り返され、入京直前に処刑され、壇ノ浦から帰京した時は、西から晒されていて、「生きての恥、死しての恥」と、言われました。
『平家物語』では宗盛に対する冷たい態度が感じられます(続く)
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